2007年01月
2007年01月24日
青と緑発「J」10人目の男、安藤淳。

「僕、めっさラッキーですわ。」
昨季、京都サンガの強化指定選手であった関西大の安藤淳が今季より京都へ正式入団した。
昨季の関西学生リーグMVPにも選ばれ、文字通り、大卒ルーキーの中でも目玉の選手の一人である。
新人ながら与えられた背番号は一桁の「4」番。
その事から彼にはフロントの期待の高さが伺える。
ポジションはボランチで典型的なセンタープレーヤー。
彼のプレーを一言で言えば
「エレガント」
177cmの上背より背すじを伸ばしコート全体を俯瞰する姿。
しなやかな膝の曲がり具合、優しいボールタッチ。
右足から繰り出されるミドルパス、ロングパスの軌道の美しさ。
何よりも敵に寄られても落ち着いている。
決して得意ではなかったが、泥臭いプレーも厭わない守備の意識の高さも大学4年で身につけてきた。
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彼は野洲少年団より中学1年からセゾンFCにやってきた。トップに岡倫慶(静岡学園→大経大)を擁し、中井昇吾(野洲→柏→水戸→ヴィオラSC)らと奏でたミッドフィールドの構成はセゾン歴代でも屈指の好チームであった。何と言っても攻撃には、去年の平原、青木、楠神、金本らのチームにも劣らない味と魅力があった。
忘れもしないあれは彼らが中学3年時の金沢遠征某フェスティバル。
豪雨の土砂降りのピッチ、相手は富山の強豪・FCひがし。いつものことながらフィジカル的に圧倒的に劣っていた。
にもかかわらず
中井と安藤中心にボールを浮かせたままつないでトップの岡へ。
もちろん浮いたまま岡がボールを上がってきた安藤へ落とす。
さらに浮いたまま安藤がサイドへ展開のロングパス、サイドの選手もボールを落とさずそれをコントロール。
そこからサポートに行った中井がボールを受け浮いたまま、背中を向けたままスルーパス。
中井が触ればゴールに背中を向けていてもボールが必ず出てくる事を唯一バイタルエリア付近で知っている岡が、バックラインを楽に抜け出して、もちろん落とさないでトラップ。
シュートもGKを外して、浮いたままゴールネットへボールが吸い込まれていった。
「なんちゅうチーム、なんちゅう指導や・・・・。」
完璧にボールが地面についているのと同様に、ボールを動かしてゴールを重ねたシーンにはそこにいた会場の全員が度肝を抜かれていた。
「ボールが浮いていても落ちていても落ち着くことやボールの動かし方は全く同じやぞ。」
ベンチで座る天才軍師はいつもこう指導していた。
そんな事を指導する指導者は後にも先にも私の知る限り彼だけだ。
それから安藤は静岡学園でも中心選手として活躍、卒業後は前田雅文(野洲→関西大→ガ大阪)がエースだった関西大へ。
そしてすでにメジャーになった横浜F・マリノスの乾貴士に次ぐ、青と緑発「J」10人目の男となった。
ご存知の通り、冒頭は今季よりセゾンFCの先輩であるヴァンフォーレの倉貫一毅も京都に移籍した為に出た言葉である。
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「カズキくんと一緒に絶対出たいですわ。」
青と緑のDNAを持った二人が揃って加入した事は決して偶然ではない。
京都サンガが魅力的なチームになるため強力なコンテンツを求めていたのとも合致する。
安藤淳、そして倉貫一毅の二人が躍動する姿をまずは期待したい。
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2007年01月17日
山を動かした様々な理由、それぞれの想い。甲府の象徴・倉貫一毅、京都サンガ移籍。

「新年早々、突然の報告となってしまった。すでに新聞などで報じられている通り、新シーズンからJ2の京都サンガでプレーすることになった。ヴァンフォーレ甲府には、何の不満もなかった。自分を高く評価してくれたし、長年慣れ親しんだスタッフや仲間がいた。チームとして目指すサッカーの流れも分かっていた。つい最近まで、07年も甲府でプレーするのだと、思っていた。「京都から移籍のオファーが届いている」と聞かされたのは、先月26日。元来あまり悩まない性格だのだが、今回ばかりは相当悩んだ。もちろん、京都側からは条件面や期待される役割について説明を受けたが、それは移籍の際の重要な検討材料ではなかった。滋賀県出身の僕は、静岡県で高校生活を送り、その後プロとして磐田と甲府でプレーしてきた。10年以上故郷を離れて生活するうちに、「将来は家族が生活する関西に戻らなくては」と考えるようになった。今回のオファーは、いいきっかけになる。J2でプレーすることも、自分にとってマイナス要因ではない。新しい挑戦に踏み出したいという気持ちの半面、甲府への愛着も強かった。考えるたびに、結論は二転三転した。しかしあまり先延ばしにすれば、各方面に迷惑をかけることになる。意を決して移籍の意向を伝えたのは、先月30日。正直、甲府側に電話するときは気が重かった。話しているうちに、また気持ちが揺らぎそうだった。心残りがある。昨年4月末に故障をし、復帰まで7ヶ月を費やした。12月初めに復帰を果たし、天皇杯の2試合に出場したが、ホームグラウンドの小瀬ではプレーできなかった。甲府のサポーターは未熟な僕を7年間にわたって支え、育ててくれた。もう一度、彼らに元気な姿を見せたかった。言葉では表せないくらいに感謝しています。ありがとうございました。」(サッカーマインド・倉貫一毅・毎日新聞1/5夕刊より引用)
今オフ、ヴァンフォーレ甲府の倉貫一毅が京都サンガへ移籍した。
年末に京都からオファーがあった際、彼にこう切り出された。
倉「オレの立場やったらどうする?」
私「そやな・・・。うーん・・・・・。オレはお前ちゃうからわからんわ・・・。なんで聞くねん。」
倉「・・・・・・・・。いやいやいや・・・・。あくまで参考までに。」
私「・・・・・・・・。難しいなぁ・・・・。でも最後はお前の気持ちちゃうか。ホンマに。」
倉「・・・・・・・・。(長い沈黙)まぁ・・・ほらほうやな・・・・。」
自らの去就を相談する事などは過去に皆無だったために私の方が驚いたくらいである。それほどギリギリの所まで慎重に悩んでいたのである。
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J1クラブの主将がそのチームでのポジションを捨ててまでJ2クラブで新たなチャレンジをする。
「なぜ?」
甲府サポーターの方々は、象徴とも言える選手の今回の移籍に、「落胆」の気持ちを消化して、後に生まれてきたそれぞれの感情があると思う。
正直な所、私自身も複雑な心境だった。
なぜならば
熱狂的なサポーターでないにしても、ヴァンフォーレ甲府というクラブに非常に愛着があるからである。
その歴史の全ては知らないにしても、あの小瀬の雰囲気、苦難のJ2時代、そして歓喜のJ1昇格の瞬間も共有してきているからである。
そして最近のチーム力の向上、ステップアップが望める来季だった矢先の出来事だった。
しかしながら全てを客観的に冷静に考えると、オファーしたのが滋賀・大津に最も近いクラブだったと言うこと等はもちろんだが、「倉貫一毅」という一人のフットボーラーが、純粋に自らの選手人生の新しい目標と新たな環境にチャレンジしたかったと感じるのである。
フットボーラーとしても一人の男としてもチャレンジしたい気持ちはよくわかる。
新天地、京都サンガでの彼のさらなる活躍を願う。
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と同時に、私自身の個人的な感情も加えてここに記させてほしい。
小瀬で声を枯らしてまでゴール裏で送り続けてくれた声援。
ちびっこはもちろん老夫婦サポーターまでも着ている「8番」のゲームシャツ。
長期離脱した時に沢山の人々が折ってくれたこれまた沢山の折り鶴。
そして何よりも苦しい時間を乗り越え、歓喜の瞬間を共有してきた人々の想い。
本当に本当にありがとうヴァンフォーレ甲府。
彼がいなくなっても私は小瀬にまた足を運ぶだろう。
その時はまた歌いたい。
柏の夜空に響いた一番好きなサポーターソング「輝く夜空」を。
♪嗚呼 コーフ 輝く夜空 勝利の星は 俺らの上に
♪嗚呼 コーフ 輝く小瀬に 夢の降る場所 俺らの上に
Ventforet forever.
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2007年01月10日
群雄割拠、高校フットボールシーン。そしてメディアの報道の在り方。

年が明けても続いたフットボールシーン、正月の風物詩の1つである今回の高校選手権も、無限の可能性を秘めた選手達による数々の熱い戦いが繰り広げられた。
個人的予想は全く当てにならず、高円宮杯優勝・滝川二、前回王者野洲が敗れ、その滝二と野洲を破った武南と八千代、優勝最右翼と目された静岡学園、初出場で国立へ駒を進めた神村学園も志半ばに力尽きた。
ファイナルに残ったのはどちらが優勝しても初優勝の岩手・盛岡商と岡山・作陽。このカードを未来からタイムマシンでやってこない限り、大会前に誰が予想できただろうか。
35,000人の観衆が詰めかけた国立競技場のピッチで作陽が先制するも、盛岡商が試合終盤に劇的な逆転劇を演じ2-1で勝利、東北勢としての快挙を成し遂げた。
盛商は「走り負けない」ベースを地盤に、攻守にバランスが取れたチームであった。地味だが徹底としたサイド攻撃を武器に一気に頂点へ駆け上がった。敗れた作陽も4-5-1のシステムをベースに相手に応じて戦術と選手を変化させるクオリティの高いゲームを見せてくれた。
このファイナルの東北勢対中国勢の顔合わせは一昔前の高校選手権からは全く考えられないカードである。去年の滋賀・野洲、今年の岩手・盛岡商の優勝も含めて高校サッカーは「群雄割拠」であるとか「戦国時代」や「下克上」などとメディアはこぞって騒ぎ立ててるが、まさに名前で勝てる時代はすでに終わったと言える。(去年の野洲の優勝の意味合いは今年とは全く異なるのだが)
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「プリンスリーグの影響が大きい」
躍進を遂げた両軍の監督の感想の中で出たこの言葉。これはJFAの功績である。各都道府県の上位のチームが、クラブと高校も含めて地域別にリーグ戦を行い、上位チームは高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会への出場権を賭けて戦う。強豪相手に試合数をこなし、リーグ戦の戦い方等の経験を積む事で、監督も含め選手・チームのレベルが底上げされている。
個人的な意見を言わせてもらうと、もう少しこのクラブと高校がミックスしてこの年代の日本一を決める大会をテレビが取り上げるべきだろう。一発勝負のトーナメントの高校選手権と対比させる意味で、予選から高校選手権で観ることのできないダイヤの原石の戦いをクローズアップしてほしい。
「高校サッカーは学校体育、つまり部活という教育の場であるからして人間形成の重要さを忘れてはいけない。」
この正論通り、往々にして監督である学校の先生が求められているのはプロ選手を育成する事だけではない。それゆえ学校という教育の場から今後世界につながるフットボールの人材の育成環境を求めていくのは難しい。
ブラジルを始め、イタリア、フランス、スペイン等のサッカー先進国は全て「社会体育」である。つまりサッカー(スポーツ)をする環境も「学校ベースの学校体育」でなく「クラブベースの社会体育」だという事だ。地域スポーツクラブの中に学校がある。そこへ地域性が加わり、それぞれの街にその街のシンボル的なクラブがあり各クラブのトップチームを頂点としてその街の経済が動く。
長年培ってきた「学校体育」の我が国がそこを変えていくには時間と努力が必要ではあるが、徐々にではあるが進歩を見せ、浦和レッズのようなチームも出てきている訳である。
こういった意味でも、もっともっと「高校サッカー」と言うよりは「ユースサッカー」という括りで考えていく必要があるのではないか。
メディアが話題性と視聴率を稼ぐ為に、その本質に迫らず、すぐ3年間の努力と想いを強調したその時だけのお涙ちょうだいストーリーに仕立てるパターンに、情報を発信する側からの立場としては疑問を感じる。
本当に伝えなければならない事はもっと他にある。
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2007年01月04日
冬晴れの市原の空に墜ちた流星。野洲高校連覇の夢、紺色の涙と共に儚く散る。

「勝つ可能性もあるけど、大敗する可能性あるわ。えぇチームや八千代。」
厳しい戦いが予想された緒戦の真岡戦を苦しみながら1-0で勝ち上がり、連覇へ発進した王者野洲。準々決勝を賭けた3回戦、冬晴れの市原臨海でヤマ場となる地元千葉・八千代と対戦した。
地元チームと前回王者の戦いを一目見ようと市原臨海に詰めかけた観衆なんと11,000人。五井駅に出来たバス待ちの長蛇の列がこのゲームの持つ意味、注目度の高さを物語っていた。
ゲームは野洲が前半序盤早々から先制を許し、先手を取られる苦しい展開。乾と荒堀、両サイドハーフ廣瀬、村田を中心に中盤でポセッションしようにも、ペナルティエリアに進入して反撃するにも、ファーストタッチの細かいミスが多く、フィニッシュの精度に欠く。
勝つためには追いつかなければならない野洲は、後半乾を左サイドに持ってきてそこから突破口を見いだそうとした。幾度かエースにボールが出たがそこでもやはり細かいトラップやタッチのブレなどが響き、ゴールまでは至らない。
逆に与えてはならない追加点を許して畳みかけられ、終了間際に乾が意地のゴールを返すも万事休す。1試合を通じて今大会再注目選手「異次元」乾貴士を高い集中力と素早いプレスで「同次元」に引き戻された野洲は、冒頭のゲーム前に天才軍師の想定した言葉通り1-4の完敗を喫した。
要所でのプレーの精度の差、個人能力の差、気持ちの強さが勝負の明暗を分けた。研究され尽くすもそのスタイルを貫き通し大敗。この負けっぷりは野洲らしいと言えば野洲らしい。「セクシーフットボール」と揶揄されたチームと常に比較されるというプレッシャーを常に背負ってきた彼らの1年間の頑張り、努力は認めたい。しかしながら最後までチームが一つになりきれなかったと聞く。チームとしてのコンセプトを全うしなかった選手達がいたと聞く。最後の大舞台にもかかわらず、である。
それは本当に本当に残念な事に思えてならない。

「何も言うことはないわ。後であぁやこぅやとは誰でも何とでも言える。」
いつもの事ながらメディアを避け、取材を受けても答えないせいでほ全くそういった情報は表に出ないが、試合後の岩谷篤人のサバサバとした表情からは悟りにも似た想いが伝わってきた。
儚く散った連覇の夢。それは天才軍師と言えど為しえなかった。魔法をかける事は出来なかった。チーム一丸となれない戦力で勝てるほど勝負は甘くないし、「負け戦」を勝たせられるほど、監督・軍師は魔法使いではない。
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とは言えやはり
激戦区千葉をポセッションサッカーで勝ち上がり、王者相手に堂々の戦いを披露した八千代を賞賛すべきだろう。駆け引きしながらしっかりとしたビルドアップ。要所はフィジカル的にも強く粘り強い。センス、しなやかさ、ボールの動かし方の部分でやや足りないもののいいチームである。私の友人でもある古川亮介氏の千葉SC、米倉、山崎両選手が育ったFC千葉なのはな、そして野洲とセゾンを見にわざわざ選手を連れて駆けつけるヴィヴァイオ船橋など、千葉県のJクラブ以外のジュニアユースの指導者の努力があってこそだと言う事ももちろん忘れてはいけない。八千代には野洲の分まで頑張って欲しい。
「高校サッカーが変わったとは思ってないけど、そういう方向性が認知されてきたというのはあると思う」
試合後の山本監督の言葉を裏付けるように、ショートパスとドリブルで予選を勝ち上がってきているチームも増えてきているのも事実だ。
「今日は内容良くなかったけど。コーさん、野洲の分まで俺らがやります。」
昨晩電話をかけてきたのは青森山田を1-0で下しベスト8進出を果たした静岡学園コーチの斎藤興龍。彼は今季から京都に移籍することが決定した倉貫一毅の親友で、彼自身も倉貫、坂本とともに第75回高校選手権3位の時のレギュラーメンバーである。オキタツも美しいフットボールを求めて、いい選手を育てたくて毎日切磋琢磨している。(倉貫移籍に関しては近いうち記す)
今大会の流れとして、予想通りに行かないのだが野洲が敗れた今、個人的には八千代と静岡学園のファイナルが観たい。
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最後に敗れてしまった野洲高校の選手達へ。
「3年間ご苦労様」ではない。
あくまで高校サッカーは1つの通過点にしか過ぎない。
長い人生の中で、何か1つの事に没頭できる事がどんなに素晴らしいことか。それは今は全く実感できないだろう。
しかしある程度人生を生きてフットボールの本質を求めていれば同時にわかってくる。
フットボール以外の人生を送ったとしてもすべてはフットボールがベースなんだと。
そしてフットボールも人生も自分一人ではできないと。
Feliz ano novo.
2007年1月3日 コージMC
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