2007年04月
2007年04月26日
【04】Wataru Forever.<一生で最後、そして最高の恋愛。>

アイツは高校以来、人を好きになった事はなかった。
カノジョはいたみたいだが、自分の方が惚れて恋愛をしていたことはなかったと思う。
病気のせいか、人を好きになる事や傷つく事に臆病だったのかも知れない。
そんな彼も去年の秋、恋におちた。
そして二人の恋は一ヶ月あまりで終わりを告げたのだが・・・・・・。
離れなければならなかった理由は私も知らない。
それは二人だけがわかってればいいことだと思う。
彼はそれからも真っ直ぐに気持ちをぶつけ、彼女を想い、彼女も彼の想いに応えられないもどかしさ、しかしながら何かしてあげたい気持ちに揺れていた。
彼女の素直さ、天真爛漫さに彼もまた変わっていった。
一生で最後で最高の恋愛だった・・・・・・。
いつも彼は
「おはよ」
「おやすみ」
「なー(何)してんの?」
「頑張りー!」
「大丈夫やで!」
「ありがとぅ☆」
とマメに連絡をくれた。
いつもふざけて、どうしょうもない事を言う私を見て
「ホンマにしょうもないなぁ」
と言って彼は笑っていた。
彼が素直で正直だから、私も素直で正直になれた。
真面目な話をした。
勝手を言った私を彼は全て受け入れてくれた。
それからも色んな話をした。
家族の話、友達、仲間、仕事、夢の話、楽しみにしている話、お互いの自分の話。
隠さず、沢山の話をした。
「空が好き」
って言った時
「えっ?!ほぉぅ・・・・・。」
と目を細くして首を傾げていた。
でもいつしか
「夕日がめっちゃ綺麗やねん。見えるか?離れてても同じものが見れて何かを感じれるってなんかええな。」
なんて言うようになった。
病気の事を聞くと
「なるようにしかならんし、なんとかなるやろ」
と応えていた。
でもいつしか
「病気の事も考えなあかんし、ちゃんと向き合って自分の人生、楽しく毎日一生懸命がんばらな!」
なんて言うようになった。
二人である同じ本を読んだ。
そしてこのフレーズが好きって言ってた。
"ハッピーに生きていくために一番大切なこと。それはきっと、自分を知るということ。自分を知るためには自分と話せばいい。自分と話すためには、まず自分に質問してみればいい。ゆっくり、ゆっくりと。すべての答えは必ず自分の中にあるから。"
彼はハッピーの為に自分とたくさんの話しをしたことだろう。
ある日彼からこんなメールが届いた。
「ただいまん。
そーやんなぁ☆
オレにはい〜っぱい仲間がいて心配してくれる人もいる。
幸せやな☆
みんなには、ホンマ感謝してるよ☆
多くの人が笑顔で優しくしてくれてホンマ"ありがと"やで。
俺ね。合併症を引き起こしてしまったらしいねん。
でも大丈夫やで☆
この合併症の病気のは治る可能性があるから。
それに仲間もいるしさ☆
自分の時間で、ゆっくり出来る事をしていくよ。
いつもありがと。
おやすみ。」
彼からこの後メールが届く事はなかった。
みんなに知ってもらいたい。
みんなが彼を愛したように、彼もみんなを愛していたことがこのメールから伝わってくる。
彼に出会えたことを心から嬉しく思う。
「ありがとう」
今は毎日、朝が当たり前のようにやってきて、お腹も空くし、トイレにも行く。
家族や友達がいて仕事に行き、笑う事もできる。
そんな当たり前がすごく大切なんだ。
人生は、たくさん泣いて、たくさん笑うこと。
絆は離れていても、しずかに、どこかで繋がっている。
自分を知ってハッピーな人生を。。。
桜の季節に彼が教えてくれたこと。。。
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2007年04月25日
【03】Wataru Forever.<親友「I」の気持ち。彼にしか言えなかった素晴らしい別れの言葉。>

さらに1週間が経った。
週末は彼の一人暮らしの引き払い手伝いをしに、ご両親、ご家族そして彼に近しい友人たちと一緒に過ごした。
色々な事を話した。
私が知らない事だらけだった。
「あんな事言ってましたよ、こんな事言ってたよ。」
私だけが一番彼を知っている訳じゃない、と知った。
私にしか言えない事もあっただろうが、私には言えないことも多々あったのだろう。
それからますます私のココロは穏やかになった。
これがこの出来事を受け入れられたというならそういう事なのだろう。
あんなに悲しかったのに今は笑う事もできる。
「何もしなくとも一緒にいる、時間を共有する」
「知らなかった彼を知る」
この二つのお陰でこの悲しみを受け入れられた感がする。
今後も私も私の知っている彼の話をしたいし、私の知らない彼の話もしたい。
今回は距離を置かざるを得なかった私より、リアルな彼を感じてきた東京での親友「I」の気持ちを感じていただきたい。
彼は告別式の際、素晴らしいスピーチをした。
本当に本当に素晴らしかった。
そこには本当のアイツの姿があった。
■4/10
朝から調子が悪い、テンションが上がらない・・・。
昨日月曜からものまねショーを八重洲に見に行って、夜中に帰ったから疲れてるのかなぁ。
仕事をしてると、夕方15時40分、コージさんから電話が入った。
「ワタルが亡くなった」
俺は3週間も電話をしてないアイツがこうなる事を覚悟していた。
電話の名前を見た瞬間「やばい」一瞬思った。出るにも覚悟が必要だった。
少し放心になり、トイレに行き、号泣した。
しばらくすると17時51分、「イノウエワタル」からの着信があった。
アイツの携帯から、お姉ちゃんがかけてきてくれた。
「今大丈夫ですか?ワタルが9日の17時59分息をひきとりました」
「またこの後の事はコージさんから連絡してもらいます。」
と言われ電話を切った。
肉親からの連絡にも、自分はまだ半分信じられなかった。
アイツが倒れたのは俺と夜電話した後だった。
たしか3月14日前後で、ある人とケンカした事を話した。
「へこみますねぇ〜」
そんな事を言われた気がする。
アイツはその夜、丁度夕飯を買い出しにきた。
コンビニでかけてきた。ちょっと寒い日だった。社外で話していたので寒かった・・・・。
「お互いまだ仕事か〜。じゃあ続きはまたあとで!」
話を途中で電話を切り、夜中に電話もメールもしたが返事がなかったので、
「まさか」とは思っていた。
入院したのを知ったのは翌日だっただろうか。
お姉ちゃんの留守電とコージさんが電話で知らせてくれた。
最後にメールが来たのは・・・。
社員旅行でグアムから帰った3月11日。
「おっかえんなさい!めっちゃ淋しかった」
って。
最後に会ったのは3月2日の時の飲み会だ。
ワタル主催で朝まで新宿にいた。
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あれ以来会えなくなってしまった。
そして、久しぶりに会えたのがこういう形だ。
連絡を受けて、夜中K兄(サッカーチームのキャプテン)にどうするか聞き、キングに連絡した。(キングはうちの会社の人間でワタルと自分と一緒によく遊んでいた。)
キングも明日一緒に滋賀に行く事になった。
女の子達にはとても言えない・・・。
なんだかアイツが会社に来た事など色々思い出して仕事が手につかない。
色々と連絡をしながら、仕事をし、夜中4時にタクシーに乗って帰宅。
準備をして少し寝て、15時30分東京発の「のぞみ」にキングと乗った。
車内でチームメートのG、S、K兄、M美さんと合流した。
その後、ワタルの元カノのMg、友達のMdと合流。
京都で乗り換え、草津というところまで20分。
草津第一ホテルというホテルにチェックイン。
いよいよ式に出る。タクシーで会場へ。
名前の入った案内板を見た。
入るのにとまどった。入口を入るとシーンとしていた。
会場は2階らしい。
2階に上がるとすでに坊さんの話がはじまっていた。
実はもう式は終盤だった・・・。
お焼香のために参列するが、Mgが泣いて立てない。
MdとM美さんが慰める。俺は横で待っていた。
会場入り口でご両親とお姉ちゃんにあいさつした。
ワタルの家族を見るのははじめてだった。
色々と聞くのは悪いと思い、あいさつもそこそこに参列の最後尾についた。
参列すると、会社や倉貫くん、ジオンの花が置いてあった。
個人名で俺も花をだしたかった。。
考えつかなかった自分を後悔した。
いよいよ、ワタルの棺桶の前に到着。
ぽかーんと口をあけ、
両目半開きのまま寝てる。蝋人形みたいだ。
写真のワタルは静岡学園のユニホームを着てる。
若い写真だ・・・。
なんだか冷静だった、当然こんな姿見たことがない。
唇は荒れていた。以外とゲッソリしていない・・・。
Mgがボタボタとワタルの顔の上で涙を2粒落として。
それは、かかっているビニールシートのシミになった。
通夜が終わり、お姉ちゃんとご両親とジオンメンバーで24時ごろまでいた。
その間、寿司を食べたり、話をしていた。
ワタルが最後に連絡とりたかったのは俺だという事をお姉ちゃんから聞き、友人代表のスピーチを任された。
あいつが意識を戻した時
「誰に連絡する?」
「 I くん…」
「他には?」
「もうええ…」
そんなやりとりがあったらしい。
本当にうれしかった。俺なんだろうけど、俺でいいのか…。
アイツの会社のS社長も来ていた。国立で野洲高の観戦以来だ。
途中Aーノ、コージさんが到着。
ホテルに戻り2時までMg達の部屋にいた。スピーチの手紙はMgが用意した紙に書くことにした。
はじめに「用紙がある!」とMgが取り出したのは御霊前の紙だった(笑)
神が降りた瞬間だった。
2時になりSの部屋へ。
タメB型4人で「愛」について語り(苦笑)
4時、自分の部屋についた。
さて、何を書くか…スピーチを考えだし、
悩んで何度も書き直して何とかできあがった。
朝7時だった。
「寝れないじゃないか・・・・。」
一言ぼやいて、とりあえず初日は終わった。
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■4/11
横になって、すぐ起き、シャワーを浴び、準備をした。
アイツとMgのディズニーランドの土産の派手なプーさんパンツもはいた。
今日しかはく事はないだろう。
告別式にこれをはいて、徹夜で仕上げた「あの」スピーチをする。
ふざけた野郎だと自分を思ったが、すごく自分に合っていると思った。
9時。ロビーで集合。
集まった時、自分が一番遅かった。
タクシーに乗り、昨日の会場についた。
みんなが手紙を書き始め、俺はMgに灰皿で隠された。
おにぎりを1つ食べた。
Lさん、Hさん、Yイチくん達が合流。
告別式がはじまる。
友人側の席、一番右前に座り、お経が一通り終わるのを待つと
いきなり、友人代表の挨拶だった。
「ここで、ご友人代表の〜」アナウンスが流れた。
会場、来客席と祭壇の間に「センターマイク」がある。
マイクの前に立つと、さながら「PK」の気分だった。
「ワタルと自分は彼が東京に来て、サッカーチームに入って以来の付き合いです。
自分はここに友人代表として立っていますが、
ワタルの東京での兄弟だと思っています。
振り返ると、本当に楽しい思い出しかありません。
ある日、台風が去った直後に二人で秋葉原に行き、
ノリで、メイドカフェを3軒もはしごした事。
仕事中しょっちゅう電話をしていた事。
ワタルが、「スシが食べたい」というのでいつもご馳走してあげてた事。
昨日は、お通夜でワタルのおかげでお寿司が食べれました。
でもな、俺とMgが好きなイクラがなかったぞ。
最近の二人の口癖が「ストイック」だった事。
楽しい事ばかりでした。
本当に楽しかったな。
ワタルと僕は常に、強く前向きでした。
今思えば、もし、人生の中で「辛い事、苦しい事」と「うれしい事、楽しい事」の比率が同じであるなら
きっと「辛く苦しい事」よりも、より大きな「楽しみや喜び」で包み込めば、最後には「幸せ」が残っている。
そう思ってきたのかもしれません。
ワタルは、尊敬できる恩師、先輩と仕事をし、頼れる仲間達とサッカーをし、愛する人と穏やかに過ごし、最も愛する家族に見守られ本当に幸せです。
ワタルは強く、優しい男です。
ワタルは我々が悲しむ事を望んではいません。
俺たちはお互い泣き顔を見せた事がありませんが、
いつか喜ばせて泣かせてやりたいと話していました。
「いつか絶対泣かしたんねん」
今でもそう聞こえてきます。
だから、昨日今日流した涙は別れが悲しくて泣いているのではなく、出会えた事が心からうれしくて泣いている涙です。
ご親族の皆様、今は辛いかと想いますが、ワタルはストイックに働き、遊び、サッカーをし、恋愛をしてきました。
常に全力であったため、彼の人生において、後悔の念は微塵も無いはずです。
少なくとも自分にはそう思わせてくれるのです。
ワタルは次のステージへ行きました。
我々も見習ってがんばりましょう。
最後に、ワタルが俺のモノマネで好きだったネタの中からクリスペプラーのモノマネで締めたいと思います。
「以上、クリスペプラーでした!アーイ!」
とこんな感じいつもモノマネをして笑ってもらいました。
長くなりましたが、ありがとうございました。
ワタルのご冥福を心よりお祈りしています。
ワタル、本当に楽しかった。
これからは見守っててくれよ。
本当にありがとう。
友人代表 I」
只でさえ緊張しいの自分は声が大きく震えていたのがよくわかる。
人前でしゃべるのが苦手な自分は、
緊張が隠せない中、何とか言いたい事は言い終えた。
スピーチはアイツとの思い出と、人柄簡潔にまとめるように努めた。
なんとかアイツの期待に応えられるように仕込んだ
「クリスペプラーのモノマネ」は不思議とスムーズに出た。
笑い声が聞こえた。
あんな雰囲気の中でふざけた事をした事を、本心から不謹慎だとは思っていない。
自分がアイツにできる事はこれ位だから、できる唯一の事を精一杯やるだけだった。
アイツは間違いなく喜んでいる。こんな場所でも「やる」自分を期待してくれただろう。
俺とアイツの間に「お約束」は欠かせない。
親族の挨拶があった。
親族の辛さは計り知れない・・・。
式が終り、エレベーターで下へ。
棺を担ぐ事を依頼された。
ズッシリと重い棺を担ぎ、霊柩車へ…。
隣にはMg、倉貫くんがいる。
車へ運び、倉貫くんに声をかけようとしたが、
S社長に止められ、バスへ連れていかれた。
「Jリーグで長くやってる君をワタルは誇りに思っていた」
と伝えるつもりだった。
(彼は練習があるため火葬場にはいけなかったらしい。)
車中、「ここが正念場だ。本当に覚悟を決めろ」と
自分に言い聞かし、到着を待った。
Mgとも言葉を交わさなかった。
嫌な雰囲気のする火葬場に着いた。
バスを降り、建物に入るとそこでワタルと本当に最後のお別れだ。
到着すると、そこはガランとしたグレーのトンネルのような
ただの空間だった。右に変な扉が3つあったような気がした。
ワタルが車台に横たわりまっている。
「わっちゃん!」
ガタイのいい、やさしそうな男が駆け寄った。
サトシくんだ。地元での大の仲良しらしい。
俺も後に続く・・・・。アイツの顔に触る事ができた。
保冷のせいでひどく冷たい。
小さく「ありがとう」と言えた気がする。
いよいよ、別れの時。
鋼でできた暖炉のような中に2時間いれられるらしい。
扉があく、ガラガラと棺が中に押し入れられていく。
その光景を自分はボンヤリとしか見ていられなかった。
奥まで棺が押し込まれると上から扉が降りる。
一瞬、「この扉が閉まった瞬間、この世界との別れなのだ」と悟った。
「ヴーン ガタン」「ゴォーー」
嫌な音だった。閉まった音を聞いた瞬間、みんな声をあげた
おばあちゃんがワタルの名前を叫んだ。
心で「俺は名前を叫んじゃダメだ」と思った。
耐え切れなかった。
どんなに泣いても、覚悟しても
みんなにとって、こんなに身近な仲間で、友達で、家族だったアイツが壁一枚向こうの「燃やす閉居」に閉じ込められた。
その場にいた全員の叫びが響いて自分が声をだしているのがわからなかった。
こんなこみ上げる感情に耐えきれず、右手でMgを強く抱えたまま、左手はタオルで顔全体を覆っていた。
全身に力が入り、しばらく悲しみは爆発した後、続いた。
何も考えられなかった。
ただただ絶望と悔しさに潰されてその場にいるしかなかった。
しばらくたって、少し落ち着いた頃、事務的に誰かが言った。
バスに乗って一度催事場に戻るようにと。
とぼとぼとバスに順に乗り込む、席につくとMgが「歩こう」と言った。
俺は土地勘がないので無謀だと思った。
その瞬間誰かが「歩いて帰るそうです」と言った。
誰か歩いてくようだ・・・。
すかさずMgが腕をつかみ立ち上がった。
「歩こう!」
二人でバスを降りた。
歩き出してすぐ、黒服の男達がタクシーに乗って通り抜けたのが見えた。
「何してん!?」
タクシーの中のコージさんと目があった瞬間思った。
彼らは降りて後ろから追ってきてくれた。一緒に歩いてしばらく歩いた。
メンバーが駅で待っていると聞き、Mgと二人で駅に向かった。
骨は拾えないのか…残念な気持ちになりながら駅の方角を目指して歩いた。
空は晴れてすがすがしい「お散歩日和」だった。
たんぽぽの花は大きく咲き、途中偶然土手を登ると一瞬にして桜が大きく見えた。
そこは川沿いの桜並木だった。
滋賀は東京より遅く、桜が満開だった。
「この広い世界で巡り逢う喜びを言葉じゃいい表せないね
だから僕達は微笑み 色鮮やかに過ぎる秋をドレミで唄って
冬を背に春の木漏れ日を待ち 新しく生まれ変わる 誰かを守れるようにと」
後日、ワタルが最後に好きだったこの歌を思い出し、ふいに開いた歌詞カードを見て、
涙がでた。
ワタルとあの子が出遭ったのが秋だった…。
アイツが最後に残したメッセージなんだと思い、みんなに伝えなきゃと思った。
きっと、ワタルは千の夜を越えてみんなに逢いにくる。
以上。
クリスペプラーでした!ア〜イ!
おしまい。
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2007年04月19日
【02】Wataru Forever.<791010→070409>

あれから1週間が経った。
つい昨日の事のようにも感じるし、だいぶ前の事のようにも感じる。
「生前の彼と会えたはずなのに何故もっと努力をしなかったのか」
「あの時、もっとあぁすればよかった、こぅすればよかった。」
前回の私の想いを読んでいただき、心を奮わしてくれた彼に関わった数々の方の後悔の言葉、そして激励の言葉を沢山頂きました。
本当にありがとうございます。
彼は多くの人に愛されていたと改めて感じた。
彼を想う人がいるだけ、彼の死を乗り越えなければならない人がいる、受け止めなければならない人がいる。
ゆっくりでいい。
徐々にでいい。
消化するのは。
受け入れるのは。
そして。
どうしても謝らなければならない事がある。
前回、ご両親とご家族はあたかも納得をされているような意味合いを含み、私はこう記した。
『「病気の痛みから解放されて良かった」
「たくさんの人たちに愛されて幸せだった」
と納得することも1つの方法ではあるだろう。
長きにわたり共に病気に苦しんでこられたご両親は実際にそう言っておられたし、通夜、葬儀ともにそのようなクロージングの雰囲気で盛大に行われた。
しかしながらご両親、ご家族はあいつが命を焦がしてまで懸命に生きたこの3年間を知らない。
彼の作品を持ち帰り一生懸命説明したが、もうご両親にとっての彼のヒストリービデオは完成された後であった。』
今ではそうでなかったと強く感じる。
私には到底及ばない気持ちを抑え、わざとこう振る舞っておられたのだと。
悲しみと悔しさを痛い程共有していたのだと。
至らず
本当に申し訳ありません。
今では色々な事を感じ、想い、一瞬一秒の大事さを少なからず意識している。
しかし、なぜだかわからないが。
あの時やるせない程感じていた悔しさ、無念さは、悟りにも似たゆるやかに寄せては返す波のような優しさに変化した。
不思議なくらいココロは穏やかである。
今は笑って言ってやりたい。
「誰がお前に自らの命を以て、一瞬一秒の大切さを教えろ言うた。キャラじゃないことすんなアホ。」
まだまだ続く。
2007年04月14日
Wataru Inoue Forever. ~19791010→20070409~

2007年4月9日月曜日。
一人の男がそのあまりにも短すぎる生涯を閉じた。
享年27歳。
病気に悩み、苦しみ、くじけそうになりながらも前を向き、その運命を受け入れ、懸命に生きた。
中途半端な半人前が、様々な経験をし、たくさんの人に出会い、大人になった。
そして自分の運命と最後まで闘い、力尽き、この世を去った。
告別式を終えた今も、私は彼の死を受け入れられないでいる。
いつまでも悲しみに暮れるというよりは、無念のあまりその短すぎる死の意味を理解できていない。
理解したくない、認めたくないと言った方が近い。
「病気の痛みから解放されて良かった」
「たくさんの人たちに愛されて幸せだった」
と納得することも1つの方法ではあるだろう。
長きにわたり共に病気に苦しんでこられたご両親は実際にそう言っておられたし、通夜、葬儀ともにそのようなクロージングの雰囲気で盛大に行われた。
しかしながらご両親、ご家族はあいつが命を焦がしてまで懸命に生きたこの3年間を知らない。
彼の作品を持ち帰り一生懸命説明したが、もうご両親にとっての彼のヒストリービデオは完成された後であった。
彼の本意はもっと別の所にある。
彼はその人生を全うすることができず、志半ばにして逝ってしまった。
私はこの3年間一番誰よりも長く彼と一緒に過ごした。
だから彼の生き様を伝え、書き綴る義務がある。
彼を知っている方、知らない方いずれにしても、その存在を心の片隅に刻んでいただければ何よりも彼に対しての手向けになるだろう。
無念だったに違いない。
アイツはもっと生きたかった。
最後の3年間に彼の生き様が詰まっている。
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彼は私のフットボールの後輩であり、仕事の部下であった。
何よりもこの私にとって。
かけがえのない特別な男だった。
本当に本当にかけがえのない人間だった。
先輩からはかわいがられ後輩からも慕われ誰からも好かれる奴で、思いやりがあり、時に先輩の悪いマネをして後輩には横柄な時もあったが本当に優しい男だった。
彼が眠る滋賀へ戻る新幹線の中、私は人目はばからず泣いた。
声を上げ泣きじゃくった。
いろいろな事を思い出し、溢れる感情をどうしても押さえることが出来なかった。
出会ってから13年、いや14年が経つ。
たった1年強しかいなかったのだが、彼は青と緑の誇りを持っていた。
北野少年団の1つ上の先輩の坂本紘司(湘南)の後を追い、中学2年でセゾンに来た。
中学3年で滋賀県大会優勝、そして稲本(ガラタサライ)がいたガンバ大阪に勝ち関西大会優勝。
(あとにも先にもセゾンが関西で優勝したのはこの時だけである。野洲高校全国優勝メンバーも成し遂げていない。)
高円宮杯出場を果たすも、全国の舞台で三菱養和に0-11の屈辱的大敗。
その後彼は倉貫(京都)・坂本の後を追い静岡学園へ進学、凄い彼らと高校生活を共に過ごした。
しかしながら3年間彼がA戦のレギュラーになることはなかった。
彼のサッカープレーヤーとしてのピークは15歳の時だったのかもしれない。
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病魔に蝕まれたのは高校三年の時、その時は「痔」と診断されその後苦しむような難病とは診断されなかったと聞く。
高卒後は就職したものの、そこで同じく病気で倒れ、会社から解雇される。
実家の滋賀へ戻り、診断を受けると難病と診断され即入院。
それから彼の長きにわたる闘病生活が始まった。
その後入退院を繰り返し、長く働けなかった、かつてのように思い切りボールを蹴る事もできなかった、好きなものを思い切り食べられなかった。
それはさぞ苦しかっただろう。
数多くの挫折と虚しさを味わってきた彼は、毎日そうだった訳ではないが、一番楽しいアクティブになる20代前半を、自立できない自分への苛立ちと弱さに怯え、悶々と過ごしていた。
「動く仕事じゃないから、Mac覚えてデザインの仕事、俺と一緒にするか。」
私が社長に頼み込み拾ってもらったのは2003年秋。
正社員採用になったのは2004年1月。
会社の東京事務所立ち上げの為に一人で東京で頑張って、やっと1年が経った時だった。
「お前は今まで勉強もしてきてないし、病気のこともあって自分にコンプレックスがあるかもしれん。」
「でも俺はここまでしかできひん人間やて絶対思うな。今までやってきてない分これから誰よりも濃密な時間過ごせ。その為の手助けを俺はしたるから」
「絶対お前は変われるから変われよ。一緒にがんばろうや。」
うなずいた彼だったがすぐには、勉強する、仕事するということに対して貪欲さが全く足りなかったり、今までの習慣や言葉遣い、姿勢はすぐに変わるものでもなかった。
「先輩・後輩」から「上司・部下」へ二人の関係は変化したのだが、彼はそれを理解できていなかった。
私は名前から名字で呼ぶようになったが彼は仕事の時も「センパイ」のまま。
私は歯がゆかった。
仕事に対しても何回も同じミスを繰り返し、やる気を疑う時もあった。
指摘する数々の言葉は彼に相当プレッシャーだったはずだ。
1年に1度は1ヶ月あまり入院するために、それまで継続されていた取引先からの仕事が切れた事も、減らされた事も多々あった。
一度だけならまだしも二度、三度、四度。
業績が上がったと思えば下がり、それの繰り返しだった。それゆえ近すぎる彼に対して苛立ちもあったのも事実である。
その度に私に「迷惑かけてすいません。」と暗い表情の彼を思い出すとあまりに切ない。
公私混同さすまいと、わざと距離を置いていた。
変わって欲しかった。一人前になって欲しかった。
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忘れてはいけないのは彼を一人前に育ててくれたのは取引先だったと言う事である。
取引先の制作部に出向して作業していた毎日の中、最初の時は何もできなかった彼も沢山の方々のお陰で徐々にだが仕事をできるようになった。
彼なりに精一杯やっていた。
彼を知る方ならたまに滋賀に帰った彼を見て感じたはずだろうが、その顔つきは想像できないくらいに精悍になっていたはずだ。
徐々に自信もつき、夢を持ち、燃えていた。
出来る事も増えて、仕事に打ち込むことに生き甲斐を感じていた。
そしてその取引先の会社が彼は好きだった。
(※取引先のJPSのみなさんを始めジオンのみんな、沢山の方々がわざわざ東京より駆けつけてくれました、弔電も多数いただきまして本当に、本当にありがとうございます。)
二人三脚で頑張った甲斐もあり、一緒に頑張ってくれる従業員も2人増えて最近は順調であった。
今年1月に1ヶ月入院したのだが、無事退院し、最近は元気に仕事に打ち込んでいた。
今回の緊急入院も去年の5月に入院しているため
「またやりよったわ。しゃあないのぅホンマ」
またすぐ帰ってくるものと思っていた。
彼にしてみれば帰りたかったが帰れなかった・・・・。
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通夜の夜、私と社長は朝まで彼のそばにいた。
彼のそばに最後までいたかった。
「センパイ、ホンマくやしいわ。くやしいわ。」
「最後まで迷惑かけたままでホンマすいません。」
そう彼は言っていた。
彼に何度助けられただろう。
再度色々な事を思い出し、もう泣くまいと決めたはずの涙はとめどなく溢れ出た。
「お前死んでる場合ちゃうやろが。やることまだまだたくさんあったやろが。」
(潮入さん、アイツを雇っていただいてありがとうございます。いつもアイツは感謝してました。)
最後になってしまったが、近い存在すぎて一緒にいる事が当たり前だった彼に一生言うつもりもなく、もちろん言えなかった言葉を。
「苦しかったやろ。
よう頑張ったな。
これを綴っている今も。
俺はやっぱり悔しくてたまらん。
無念でたまらん。
でもやっぱりお前が一番悔しかったんやもんな。
お前がいなかったら俺はここまでがんばれてなかったかもしれん。
ありがとう。
愛してるぞワタル。」
2007年4月14日 コージMC
2007年04月03日
雑誌「Jリーグサッカーキング07年05月号」それの5ページ。

今回は軽めにとりとめもないアホ話を。
本屋に行けばサッカー雑誌はある程度チェックする。
全ては読まないにしてもパラパラっと興味のありそうなコピーと写真を基に大前春子 (フロム ハケンの品格)までとはいかないが速読する。
そこで見つけた一冊の似たようなネーミングの一冊。
Jリーグサッカーキング 2007年 05月号 [雑誌]速読検索エンジンにヒットした当ブログ応援選手、横浜FM・山瀬功治の連載開始の告知。
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「アイツ何かきよんねんろ」
そう思いながら読み始めるとブラジル留学の話題。
「大体知ってるわ。フムフム・・・」
最後に丁寧にその当時の写真が掲載されていた。
「ヤマセ完全オカッパやんけ。そやったわ確かー。なつかしーなー。みんないるやんけ。」
「アルナゥド、ミネもおる、ミキサン、アニー、ケンもアキちゃんもハラッピもおるやんけー。」
そして次の瞬間、妙に変な違和感を感じた・・・。
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いやいやなんでやねん
わしもいるやんけ

「なんでやねん!」
だけは口に出てしまったために横にいたオッサンがびっくりしていた。
「俺の方がびっくりしたわ。」
次の瞬間ヤマセにメールしていた。
私「雑誌見たわ。誰があんな写真つかえゆうたー(笑)」
山「僕じゃないんすよー。すでに用意されてたんすよー。」
その瞬間ピーンと来た。
二つのスナップにヤマセ以外に両方映っている者の仕業だと。
彼の名前はそのページ右端の写真提供、そして最後部の広告の所に綴ってある。
その瞬間メールしていた。
私「びっくりしたわ、ミキさん。あんなん反則やわー。」
ミ「受けるだろ。せっかくだから企画にしてみたよー。」
軽っ。
彼もまた愛すべき男である。
若かりしコージMCを観たい方は是非チェックしてみてください。
「誰がオッサンや。」
ま。
別にチェックせんでええけどね。
Jリーグサッカーキング 2007年 05月号 [雑誌]-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
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