2007年04月14日

Wataru Inoue Forever. ~19791010→20070409~

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「まぁ言うたらブログですわ。」果たして今何位?順位を確認



2007年4月9日月曜日。


一人の男がそのあまりにも短すぎる生涯を閉じた。


享年27歳。


病気に悩み、苦しみ、くじけそうになりながらも前を向き、その運命を受け入れ、懸命に生きた。


中途半端な半人前が、様々な経験をし、たくさんの人に出会い、大人になった。


そして自分の運命と最後まで闘い、力尽き、この世を去った。



告別式を終えた今も、私は彼の死を受け入れられないでいる。


いつまでも悲しみに暮れるというよりは、無念のあまりその短すぎる死の意味を理解できていない。


理解したくない、認めたくないと言った方が近い。



「病気の痛みから解放されて良かった」


「たくさんの人たちに愛されて幸せだった」


と納得することも1つの方法ではあるだろう。


長きにわたり共に病気に苦しんでこられたご両親は実際にそう言っておられたし、通夜、葬儀ともにそのようなクロージングの雰囲気で盛大に行われた。


しかしながらご両親、ご家族はあいつが命を焦がしてまで懸命に生きたこの3年間を知らない。


彼の作品を持ち帰り一生懸命説明したが、もうご両親にとっての彼のヒストリービデオは完成された後であった。


彼の本意はもっと別の所にある。


彼はその人生を全うすることができず、志半ばにして逝ってしまった。


私はこの3年間一番誰よりも長く彼と一緒に過ごした。


だから彼の生き様を伝え、書き綴る義務がある。


彼を知っている方、知らない方いずれにしても、その存在を心の片隅に刻んでいただければ何よりも彼に対しての手向けになるだろう。


無念だったに違いない。


アイツはもっと生きたかった。


最後の3年間に彼の生き様が詰まっている。



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彼は私のフットボールの後輩であり、仕事の部下であった。


何よりもこの私にとって。


かけがえのない特別な男だった。


本当に本当にかけがえのない人間だった。


先輩からはかわいがられ後輩からも慕われ誰からも好かれる奴で、思いやりがあり、時に先輩の悪いマネをして後輩には横柄な時もあったが本当に優しい男だった。


彼が眠る滋賀へ戻る新幹線の中、私は人目はばからず泣いた。


声を上げ泣きじゃくった。


いろいろな事を思い出し、溢れる感情をどうしても押さえることが出来なかった。



出会ってから13年、いや14年が経つ。


たった1年強しかいなかったのだが、彼は青と緑の誇りを持っていた。


北野少年団の1つ上の先輩の坂本紘司(湘南)の後を追い、中学2年でセゾンに来た。


中学3年で滋賀県大会優勝、そして稲本(ガラタサライ)がいたガンバ大阪に勝ち関西大会優勝。


(あとにも先にもセゾンが関西で優勝したのはこの時だけである。野洲高校全国優勝メンバーも成し遂げていない。)


高円宮杯出場を果たすも、全国の舞台で三菱養和に0-11の屈辱的大敗。


その後彼は倉貫(京都)・坂本の後を追い静岡学園へ進学、凄い彼らと高校生活を共に過ごした。


しかしながら3年間彼がA戦のレギュラーになることはなかった。


彼のサッカープレーヤーとしてのピークは15歳の時だったのかもしれない。



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病魔に蝕まれたのは高校三年の時、その時は「痔」と診断されその後苦しむような難病とは診断されなかったと聞く。


高卒後は就職したものの、そこで同じく病気で倒れ、会社から解雇される。


実家の滋賀へ戻り、診断を受けると難病と診断され即入院。


それから彼の長きにわたる闘病生活が始まった。


その後入退院を繰り返し、長く働けなかった、かつてのように思い切りボールを蹴る事もできなかった、好きなものを思い切り食べられなかった。


それはさぞ苦しかっただろう。


数多くの挫折と虚しさを味わってきた彼は、毎日そうだった訳ではないが、一番楽しいアクティブになる20代前半を、自立できない自分への苛立ちと弱さに怯え、悶々と過ごしていた。


「動く仕事じゃないから、Mac覚えてデザインの仕事、俺と一緒にするか。」


私が社長に頼み込み拾ってもらったのは2003年秋。


正社員採用になったのは2004年1月。


会社の東京事務所立ち上げの為に一人で東京で頑張って、やっと1年が経った時だった。




「お前は今まで勉強もしてきてないし、病気のこともあって自分にコンプレックスがあるかもしれん。」



「でも俺はここまでしかできひん人間やて絶対思うな。今までやってきてない分これから誰よりも濃密な時間過ごせ。その為の手助けを俺はしたるから」



「絶対お前は変われるから変われよ。一緒にがんばろうや。」



うなずいた彼だったがすぐには、勉強する、仕事するということに対して貪欲さが全く足りなかったり、今までの習慣や言葉遣い、姿勢はすぐに変わるものでもなかった。


「先輩・後輩」から「上司・部下」へ二人の関係は変化したのだが、彼はそれを理解できていなかった。


私は名前から名字で呼ぶようになったが彼は仕事の時も「センパイ」のまま。


私は歯がゆかった。


仕事に対しても何回も同じミスを繰り返し、やる気を疑う時もあった。


指摘する数々の言葉は彼に相当プレッシャーだったはずだ。


1年に1度は1ヶ月あまり入院するために、それまで継続されていた取引先からの仕事が切れた事も、減らされた事も多々あった。


一度だけならまだしも二度、三度、四度。


業績が上がったと思えば下がり、それの繰り返しだった。それゆえ近すぎる彼に対して苛立ちもあったのも事実である。


その度に私に「迷惑かけてすいません。」と暗い表情の彼を思い出すとあまりに切ない。


公私混同さすまいと、わざと距離を置いていた。


変わって欲しかった。一人前になって欲しかった。



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忘れてはいけないのは彼を一人前に育ててくれたのは取引先だったと言う事である。


取引先の制作部に出向して作業していた毎日の中、最初の時は何もできなかった彼も沢山の方々のお陰で徐々にだが仕事をできるようになった。


彼なりに精一杯やっていた。


彼を知る方ならたまに滋賀に帰った彼を見て感じたはずだろうが、その顔つきは想像できないくらいに精悍になっていたはずだ。


徐々に自信もつき、夢を持ち、燃えていた。


出来る事も増えて、仕事に打ち込むことに生き甲斐を感じていた。


そしてその取引先の会社が彼は好きだった。


(※取引先のJPSのみなさんを始めジオンのみんな、沢山の方々がわざわざ東京より駆けつけてくれました、弔電も多数いただきまして本当に、本当にありがとうございます。)



二人三脚で頑張った甲斐もあり、一緒に頑張ってくれる従業員も2人増えて最近は順調であった。


今年1月に1ヶ月入院したのだが、無事退院し、最近は元気に仕事に打ち込んでいた。


今回の緊急入院も去年の5月に入院しているため


「またやりよったわ。しゃあないのぅホンマ」


またすぐ帰ってくるものと思っていた。


彼にしてみれば帰りたかったが帰れなかった・・・・。



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通夜の夜、私と社長は朝まで彼のそばにいた。


彼のそばに最後までいたかった。


「センパイ、ホンマくやしいわ。くやしいわ。」


「最後まで迷惑かけたままでホンマすいません。」


そう彼は言っていた。


彼に何度助けられただろう。


再度色々な事を思い出し、もう泣くまいと決めたはずの涙はとめどなく溢れ出た。


「お前死んでる場合ちゃうやろが。やることまだまだたくさんあったやろが。」










(潮入さん、アイツを雇っていただいてありがとうございます。いつもアイツは感謝してました。)









最後になってしまったが、近い存在すぎて一緒にいる事が当たり前だった彼に一生言うつもりもなく、もちろん言えなかった言葉を。












「苦しかったやろ。









よう頑張ったな。









これを綴っている今も。









俺はやっぱり悔しくてたまらん。









無念でたまらん。









でもやっぱりお前が一番悔しかったんやもんな。









お前がいなかったら俺はここまでがんばれてなかったかもしれん。














ありがとう。















愛してるぞワタル。」






2007年4月14日 コージMC




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この記事へのコメント

1. Posted by seki    2007年04月14日 22:02
コージへ

ブログ読んで泣きました。

俺も大切なかけがえの無い人を失って5年がたちます。

志半ばでこの世を去らなければならなかった人の気持ちを推し量ることはできへんけど、だから俺たち生きさせてもらっている人間がその人の、本来もっと生きるべきで在ったであろう人生を、背負い、その人の存在を心に抱き、生き続けるべきなんやと思います。

きっとコージの気持ちは届いているはずです。

思いっきり泣いたら、わたるさんのためにも、新たな一歩をわたるさんの魂とともに踏み出そう!!

2. Posted by コージMC    2007年04月14日 22:39
>SEKI

セキもつらかったんやな。泣き虫の俺はまた思いだし泣いてまうやろうけどな。

ありがとう。アイツのために泣いてくれて。
3. Posted by 下手糞GK    2007年04月16日 16:51
覚えてくれていないかもしれませんがお久しぶりです。僕は全国優勝した野洲の一世代前のセゾンでプレーさせていただいてた者です。
コージさん(この場ではあえてこう呼ばせていただきます)やワタル君にも大変お世話になりました。ありがとうございました。
このブログもよくに覗かせていただいています。
乾選手の話や野洲やセゾンの話を楽しみにしておりましたが、まさかワタル君がお亡くなりになったとゆうことをこのブログで知るとは思いませんでした。ワタル君は僕のことを覚えてくれているかはわかりませんが小学校、中学のはじめの頃にお世話になったことを僕はよく覚えています。この日記をみた時、まかさと思いましたが、次の瞬間には涙がこぼれてしまっていました。本当になんていったらいいかわからないのですが、この場をお借りしてあの頃のお礼がいいたいです。本当にありがとうございました。
謹んで御冥福をお祈りいたします。
4. Posted by コージMC    2007年04月16日 23:07
>下手糞GKさん

君のその気持ちは必ず彼に届いていますよ。一瞬一秒を大事に生きなければならないと言う事をアイツは教えてくれましたね。まぁ誰も頼んでいませんが(笑)

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