山瀬功治
2007年04月03日
雑誌「Jリーグサッカーキング07年05月号」それの5ページ。

今回は軽めにとりとめもないアホ話を。
本屋に行けばサッカー雑誌はある程度チェックする。
全ては読まないにしてもパラパラっと興味のありそうなコピーと写真を基に大前春子 (フロム ハケンの品格)までとはいかないが速読する。
そこで見つけた一冊の似たようなネーミングの一冊。
Jリーグサッカーキング 2007年 05月号 [雑誌]速読検索エンジンにヒットした当ブログ応援選手、横浜FM・山瀬功治の連載開始の告知。
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「アイツ何かきよんねんろ」
そう思いながら読み始めるとブラジル留学の話題。
「大体知ってるわ。フムフム・・・」
最後に丁寧にその当時の写真が掲載されていた。
「ヤマセ完全オカッパやんけ。そやったわ確かー。なつかしーなー。みんないるやんけ。」
「アルナゥド、ミネもおる、ミキサン、アニー、ケンもアキちゃんもハラッピもおるやんけー。」
そして次の瞬間、妙に変な違和感を感じた・・・。
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いやいやなんでやねん
わしもいるやんけ

「なんでやねん!」
だけは口に出てしまったために横にいたオッサンがびっくりしていた。
「俺の方がびっくりしたわ。」
次の瞬間ヤマセにメールしていた。
私「雑誌見たわ。誰があんな写真つかえゆうたー(笑)」
山「僕じゃないんすよー。すでに用意されてたんすよー。」
その瞬間ピーンと来た。
二つのスナップにヤマセ以外に両方映っている者の仕業だと。
彼の名前はそのページ右端の写真提供、そして最後部の広告の所に綴ってある。
その瞬間メールしていた。
私「びっくりしたわ、ミキさん。あんなん反則やわー。」
ミ「受けるだろ。せっかくだから企画にしてみたよー。」
軽っ。
彼もまた愛すべき男である。
若かりしコージMCを観たい方は是非チェックしてみてください。
「誰がオッサンや。」
ま。
別にチェックせんでええけどね。
Jリーグサッカーキング 2007年 05月号 [雑誌]-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
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2006年08月10日
オシムジャパン初戦。ここにもこみあげる想いが。

「考えて走るサッカー」
一言で片づけるには「時間」と「努力」が必要なスタイル。独自のジャパンスタイルに向けて銀髪の指揮官に率いられた日本代表の新たな船出はアレックスの2ゴールでトリニダード・トバゴに快勝、その長い予定航路の方向性を示したように思う。
だがメンバーも流動的に大幅変動していくと予想される状況で、内容と感想をまだ述べるには早すぎる。
「チームに献身的な、技術的にも精神的にも身体的にも90分戦い抜ける選手」
ただオシムが求める選手像がこれなのは明らかのようだ。
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「もしもしコージ、久しぶりやなぁ。」
ゲーム終了後に、感極まった声で久々に電話をかけてきたのはブラジル時代を共に過ごしたY氏。
「オレ国歌斉唱でアイツが映った時、色んな事がこみあげてきて、泣いてしもたわ・・・。」
アイツとはもちろん山瀬功治の事である。彼は私より6つ上の大阪人。当時彼は25歳、私は19歳、そしてヤマセはY氏よりも一回りも下の若干13歳。既に大人だったY氏にとってヤマセは、チームメイトというよりは近所の小さいコ感覚であり、ヤマセにとってもY氏は保護者や教師のような存在だった。自分の事しか無関心なY氏が、よく彼には小言を口うるさく言っていたのを思い出す。
「ブラジルにさえ行けばうまくなれる。ブラジルにさえ行けばプロになれる。ブラジルにさえ行けば勝手に言葉を話せるようになる」
時間とお金を無駄にして「努力」も「意識」も足りない連中が多いのがブラジル留学の現状だった中(もちろんそうでない連中もたくさんいたのだが)
「オレはプロになりたいわけでも指導者になりたいわけでもないねん。一生のうち好きなブラジルで思い切りサッカーをしたかってん。後悔したないしな。」
はっきりとした自分の目的を持ち、自分で稼いだ金でブラジルへ来て、毎日を誰より120%で打ち込んでいたY氏を私は尊敬していた。
プロ選手たるものは、プレーで人を感動させるのが仕事である。その姿を見て感動し、勇気やパワーをもらう。感動や興奮をもらえるから客はお金を払う。
その中でも日本代表というものは特別な存在である。
サッカーのみならず、オリンピックやWBC、さまざまなスポーツも同様である。日本を応援してしまう。勝てば気分がいいし負けると気分が悪い。日常生活の中で一番自分が日本人であることを自覚させられる瞬間である。
さらには自分に関わった人間が、日本を代表して戦う姿を観るのは相当感慨深いものであった。今回は全てをフラットに観るつもりだったのだが色々な事を思い出して、これを書かずにはいられなかった。
幸せな事に私にはそういう檜舞台で活躍するチャンスを持っている連中がたくさんいる。彼らからまた勇気や興奮、感動をもらうのだろう。私も微力ながらこのブログで勇気や興奮、感動を与えれたらと思っている。
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真摯に過ごした濃密な時間はどれだけ経っても色褪せる事はない。やはりフットボールは素晴らしい。
大阪のオッサン、Y氏がヤマセの勇姿を観て流した涙。
それは十数年の思いの熟成された「男泣きプレミアムティアー」とでも言っておこう。
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2006年08月02日
支えた想い。山瀬功治復活。

先日7月30日、日産スタジアム。
アルビレックス新潟戦で当ブログ応援選手(彼とのエピソード)の山瀬功治(横浜マリノス)が252日ぶりに先発出場し、祝うべき復活ゴールを決めた。苦しいチーム状況の中、大事なゲームで勝利に貢献した。
実際は「ケガから復帰おめでとう」と軽く言ってしまうだけでは表現できないくらい様々な思いがそこにはある。
彼はプロになってから3度の大ケガを負っている。両膝靱帯断裂、そして腰。サッカー選手としてケガをしてプレーができない時ほど辛い時はない。
彼は24歳の若さにして3度も大ケガを負い、それを経験しているのだ。常にあった重圧ともどかしさは我々の想像以上のものであろう。
「靱帯の時は、手術してリハビリしてって長期間かかっても治る段階がわかったんですけど、腰の場合はどうしようもないから、正直かなり辛いです。」
サッカーはもちろん日常生活にも支障をきたす程の痛みがあり、手術に踏み切る前の彼の言葉。その時に彼にかける言葉は「がんばれ」しか私は言えなかった。
しかしながら「がんばれ」という一見ポジティブな言葉は、非常に無責任な言葉であると思うのである。本当の気持ちが入ってなくても言える便利な言葉であると思うのである。でも私は心の底から「がんばれ」と言うことしかできなかった。
彼らの辛いケガの日々忘れないようにと、毎日書き綴ったプライベートブログがある。(それは完全会員制で幸運にも好意で私は閲覧することを許されている。山瀬夫婦に感謝。)
具体的には書けないのだが、そこには心の底からサポートする奥さんの「想い」がたくさん詰まっている。同時に彼の「想い」も。彼女なしでは彼はありえないし彼なしでも彼女はありえないのだろう。
その「想い」は私の心を打った。その「想い」の存在をいつかここで書きたいと思っていた。そしてその「想い」が報われた事をこのブログで讃えたい。
近いうち祝いの杯をあげようか。
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2005年04月28日
山瀬功治(横浜F・マリノス)復帰間近。
下記記事によると応援選手の横浜F・マリノス所属の山瀬功治が復帰間近です。彼とはここで書いているとおりブラジルで共に生活して一緒にプレーしていました。→横浜山瀬、221日ぶり実戦で手応え
→山瀬功221日ぶり復帰!横浜「10」継承
そろそろ山瀬が見れそうですね。超過密日程で苦しんでいるマリノスにとっては久保も含めて彼の復帰は好材料です。早く勇姿を見たいですわ。お知り合いのマリノスサポーターのトリパラ(→トリパラ・ブログ)さんも喜んでいるはずです。出る試合は観に行きますわ。ヤマセ無理せんとがんばれ!!人気サッカーblogランキングはこちらです
































































