愛すべきマイメン
2007年10月11日
ある日のディナー in バルバッコア with 青木孝太。

「オフなんで、飯連れてって下さいよ☆」
声の主は、先日のヴァンフォーレ甲府戦でロスタイムに決勝弾を叩き出し、チームの6連勝に貢献したジェフ千葉の青木孝太。
声のトーンからはビシビシと調子の良さと明るさが伝わってくる。(☆の数で彼のテンションを察知していただきたい。)
「ええけど、何食いたいねん?」
「何か行ったことないとこがいいっす☆☆」
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私が選んだ場所は東京・表参道のシュハスカリア(ポルトガル語で)の老舗の有名店、バルバッコア。
シュラスコはブラジルではもっともポピュラーな料理の1つで、一言でいうとブラジリアン・バーベキュー。
サラダ中心のバイキング形式に、ボーイさんが様々な種類の肉を、焼きたての大きい剣串に刺さったまま席まで運んできてくれる。
ブラジルにいた頃は何かパーティーがあるとこのシュラスコだった。
大胆な剣串は見た目でも楽しませてくれ、初めて行った時は感銘を受けたのを覚えている。
「めっちゃうまそうすっね☆☆」
ここにも感銘をまさに受けている奴が。(笑)
ピカーニャ、アルカトラ、クッピン等のオススメ部位もあるが、私が最も好物なのはコラソン。
鶏の心臓である。(焼き鳥で言う「こころ」。)
これがまた絶品であり、コリコリとした食感とまた風味がヤバい。(今回のオカザイルめちゃイケオファーシリーズ的に言うと)
(古庄君いつもお世話になっております。彼はバルバッコアの店員でペスカドーラ町田所属の現役Fリーガー。)
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その雰囲気と料理に堪能していたコータが私にややとまどった表情でこうつぶやいた。
「コージさん、うちのボスがいます・・・・。」
周りを見渡すと、奥に現日本代表監督、イビチャ・オシム氏の子息でありジェフ千葉の監督であるアマル・オシム氏の姿が。
「挨拶に行った方がいいっすよね???」
「そら行かなアカンやろ、行ってこいや〜。」
「何てしゃべったらいいんですかね・・・・。」
「いやいや普段接している感じでええやろそら。」
「普段あんま話さないんすよ・・・・。ピンチになったら助けてくださいよ〜。」
「何で俺がやねん。」
大分渋りながら、自分の間のタイミングを見計らう事約10分、意を決した彼はアマル氏の元へ駆け寄っていった。
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彼の顔を見つけるや否やアマル氏は満面の笑みで、照れくささを隠すように自分の顔を覆いながら握手を交わした。
笑いながら談笑する二人、コータは何語でしゃべっているのだろうか。
こちらを向きながら私の事を紹介している様子、アマル氏と目が合い会釈、私も彼の席へ向かった。
「Nice to meet you Mr.Osim.I'm glad to see you.」
ノリで出てきた英語でそつなく挨拶を交わし、柔和な表情の彼からは連勝している事もあり多少の余裕も感じられた。
「He is Lucky boy!」
コータを指さしてこう言ったアマル氏。
「アブナーイ。(日本語で)」
肉とお腹を指さし、あまり食い過ぎるなと忠告も忘れないのは父親譲りか。(笑)
「いや〜緊張しましたわ〜。」
「何でやねん。いつも一緒にいるんやろ。」
「まぁ、そうですけど☆20日のホームの浦和戦、出れたら頑張りますわ〜☆☆☆」
☆の数から分かるように、緊張から解放された彼は速攻ポジティブに前を向いていた。
屈託のない笑顔は本当にナイスガイ、さらなる彼の飛躍を期待したい。
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2007年05月24日
【05】Wataru Forever.<"FOR MY BROS. " KOOJI MC feat.NO.12&W-cover>

私「アイツの為に歌つくるから。お前も歌えよ。」
W「うん。全然歌うけど・・・。オレ歌詞とか全く書けへんで。」
私「アイツとのエピソードとか言いたい事を文章で俺にくれたら、書いたるしリリック。」
時は遡ること、3年前の2004年。
倉貫一毅が結婚する際のやりとりである。
背中に重い物を背負ってそれまで頑張ってきたカズキに何かやってやりたかった。
私らしくやってやれる事と言えば、オリジナルソングを歌ってやること。
彼の重圧を解いて思い切り泣かしてやりたかった。
そこで。
彼に近しいワタルとシンペイ(私とカズキのリスペクトする兄貴分。私より6つ上だが尊敬と愛情を以てブラジル流に呼び捨てしている。そしてそれを許してもらっている。)で歌うことにした。
(ワタルはカズキと坂本紘司がいたから静岡学園に進学できたと言っていい。カズキの親友オキタツとその戦友坂本紘司は時間とスケジュールの都合上断念せざるを得なかった・・・)
ちょっとしたプロフェッショナル感を出したかったので二人にステージネームをつけた。
それも勝手に。
シンペイと言えば背番号12なので
「NO.12」<ナンバートゥェルヴ>
ワタルには頭文字の「W」に世界を渡るとかまたぐとかの意味をかけて「COVER」
「W-COVER」<ダブルカヴァー>
二人とも否応なく気に入ってくれた。
私が彼らよりエピソードを受け取ったのが結婚式3週間前。
1週間でリリックにしてとりあえずデモテープを作り、二人に渡したのが2週間前。
それから二人は必死で毎日その歌詞を覚えた。
(オリジナルトラックを使用する予定だったが諸事情で某アーティストのトラックを使用。)
ワタルは仕事中、その曲をipodでリピート×リピート。
職場も一緒なのでそれだけしか聴いていなかったのをよく覚えている。
「絶対ムリ。覚えれへん。」
某有名スポーツメーカーに勤める超多忙なシンペイ。
初めて自分の渡したエピソードが歌詞になっているのを聴いた瞬間、あまりのクオリティと練習時間の無さに、そう奥さんに漏らしたらしい。
企画的には、カズキ夫婦だけにだけじゃなく参加した皆様にCDで持って帰って欲しかったのでレコーディングをする必要があった。
東京と神戸で多忙な3人。
「どうすんねん。」
NO.12が東京出張の際にレコーディングする事にした。
しかしながら新宿でのレコーディングは困難を極めた。
スタジオを押さえる時間も予算もなかったために、選んだ手段は録音機能のついたカラオケボックスでの一発録り。
誰かが間違えれば全て終わり。
それぞれの仕事の疲労でコンディション不足と、歌詞が完全じゃない練習不足の為に、結局東京でのレコーディングは案の定失敗した。
「いやいやいや。ほなどうすんねん。」
結局結婚式2日前に私とワタルがシンペイの待つ神戸に行き、レコーディングすることになった。
業務を終え、新幹線に飛び乗り神戸へ。
そしてレコーディング。
2時間の予約は延長を重ね、5時間くらいになった。
結局集中力もないままOKテイクを出さざるを得ない状況、マスタリングもエフェクトもなしで音的にはひどいクオリティであった。
しかし今回の主旨はカズキに伝わるかという事。
下手でも下手なりに伝わるやろうと。
これでええやんと。
(特にワタルがひどかった<笑>。まぁそれもワタルらしいやんけと言う結論でOKに。)
同時に彼へのビデオメッセージも録った。
私はカズキから二次会のプロデュースと司会を頼まれていた。
私「おかしいやろ。普通は新郎新婦の近しい友達がやるもんやろ。それもかなり準備期間を置いて。入念に。何回も打ち合わせをして。何で東京にいるオレが。しかも全然時間ないやんけ。」
K「センパイやったらできるやろ。頼むわほな。」
私「まままま。できるけど。はぁ。命削らなアカンやんけ・・・・。わしゃギャラ50万円やぞ(笑)」
そういう能力に長けていると思われて(実際長けている)無茶な依頼を引き受けてしまい、結局普通以上にこなしてしまう自分を知っているのだが。
●オリジナルソングの制作
●CD制作、ジャケットデザイン、レコーディング
●ライブ
●新郎新婦エピソードクイズ作成
●ビデオメッセージ編集
●クラカズダン振り付け(踊りの出し物。かなりアツイ。ワタル前列左。)
そして
●MC司会進行
●3次会、4次会会場確保・会計
まで完璧にこなした。
「こんなに面白かった二次会初めてです☆」
「サイコー!!」
終了直後、お褒めの言葉を多数いただいた。
「誰がプロデュースしてるおもてんねん。」
正直そう思っていた(笑)
K「センパイありがと。ホンマヤバかったわ。」
披露宴で心を込めて歌った3人の声はカズキ夫婦の心に届いた。
彼を号泣さすまで至らなかったが、涙を流す姿など観たことのない彼の父の心を揺さぶり泣かすことには成功した。
CDではひどいワタルの声も本番は素晴らしい出来だった。
私「お前決めるとこ決めたやんけ。」
W「ふう。緊張したけどよかったぁ。」
FOR MY BROS. "フォーマイブロス."
KOOJI MC feat. NO.12&W-cover
Lyrics by koojimc
(koojimc & NO.12)
This song for you we wanna sing for you
and so wanna sing this song for every friends spended at that time yeah yeah
☆Happy wedding today for you this is my brother's special day
今宵気のすむまで 皆で祝おうアイツの門出
Happy wedding today for you It is my brother's precious time
天に響かせるように 皆で歌おうアイツのために
(NO.12)
初めて出会ったのはまだ俺が10代
たしかアイツは9才 小学3年生の終わり
まだグランドは近江大橋隣の小さな手作り練習場
練習後明けても暮れても地道に俺と1対1(イチイチ)
身体の大小関係ない センスとテクが大切さ
大変かもしれんがずっと青と緑の代弁者
シャツが変わり ポジション変わり 周りの環境も変わり
常に感じてる全身に次世代への責任
(koojimc)
☆Happy wedding today for you this is my brother's special day
今宵気のすむまで 皆で祝おうアイツの門出
Happy wedding today for you It is my brother's precious time
天に響かせるように 皆で歌おうアイツのために
(W-cover)
出会いそれはまさに衝撃的 こんなに小さな人なのに
何するか読むのは困難インパクト強烈で
運良くすすめた同じ高校 同じ所で暮らし学び隣でいつも同じ行動
大切なのは努力教えてもらった
俺が恋愛やサッカーで落ち込んだときも
色々な話朝までしてくれた 励ましてくれた
休みでも自主練つき合ってくれた
ちょっと自己中で適当だがそれ全部含めてあの人 絶対忘れないあの日を
(NO.12)
ありがとう 一緒にいてくれて いつも笑ってくれて アイツ支えてくれて
(koojimc)
おめでとう 何十年経っても球蹴って子供に昔話またバカ騒ぎみんなでしてたいね
(koojimc)
時の流れは早くもう10年走り続けた夢中で
ボール追いかけアホなことばっかよう言うたっけ
偉大な男(ひと)を父に持ち叔父に持ち育った熱い気持ち
俺にとっては無二の存在 兄弟以上の兄弟
信頼と尊敬ずっと続く未来の方へ
心から嬉しい今日のおまえの門出 素敵な日って思うあとで
今じゃそれぞれ違う道 あの日糧に努力の日々
誇りあるなら あそこにいたならその胸に届け
(ALL)
※どれだけ時が経ってもどれだけ状況変わっても俺らはあの頃のまま
どれだけ大人になってもどれだけ逢ってなくても全てはあの場所から
(ALL)
☆Happy wedding today for you this is my brother's special day
今宵気のすむまで 皆で祝おうアイツの門出
Happy wedding today for you It is my brother's precious time
天に響かせるように 皆で歌おうアイツのために
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そしてこの歌がワタルの告別式で流れた。
結婚式の歌であるからして本来ならば常識的に考えては良くなかったのかも知れない。
しかしこれは紛れもなく彼が生きた証の1つだった。
彼を感じれる1つの記録であり、永遠の記憶だった。
それは彼への最高の手向けになったと思っている。
一生懸命で不器用な歌声を聴いてやってほしい。
"どれだけ時が経っても
どれだけ状況変わっても
俺らはあの頃のまま
どれだけ大人になっても
どれだけ逢ってなくても
全てはあの場所から"
ワタル。
見てるか。
聴いてるか。
感じてるか。
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2007年04月25日
【03】Wataru Forever.<親友「I」の気持ち。彼にしか言えなかった素晴らしい別れの言葉。>

さらに1週間が経った。
週末は彼の一人暮らしの引き払い手伝いをしに、ご両親、ご家族そして彼に近しい友人たちと一緒に過ごした。
色々な事を話した。
私が知らない事だらけだった。
「あんな事言ってましたよ、こんな事言ってたよ。」
私だけが一番彼を知っている訳じゃない、と知った。
私にしか言えない事もあっただろうが、私には言えないことも多々あったのだろう。
それからますます私のココロは穏やかになった。
これがこの出来事を受け入れられたというならそういう事なのだろう。
あんなに悲しかったのに今は笑う事もできる。
「何もしなくとも一緒にいる、時間を共有する」
「知らなかった彼を知る」
この二つのお陰でこの悲しみを受け入れられた感がする。
今後も私も私の知っている彼の話をしたいし、私の知らない彼の話もしたい。
今回は距離を置かざるを得なかった私より、リアルな彼を感じてきた東京での親友「I」の気持ちを感じていただきたい。
彼は告別式の際、素晴らしいスピーチをした。
本当に本当に素晴らしかった。
そこには本当のアイツの姿があった。
■4/10
朝から調子が悪い、テンションが上がらない・・・。
昨日月曜からものまねショーを八重洲に見に行って、夜中に帰ったから疲れてるのかなぁ。
仕事をしてると、夕方15時40分、コージさんから電話が入った。
「ワタルが亡くなった」
俺は3週間も電話をしてないアイツがこうなる事を覚悟していた。
電話の名前を見た瞬間「やばい」一瞬思った。出るにも覚悟が必要だった。
少し放心になり、トイレに行き、号泣した。
しばらくすると17時51分、「イノウエワタル」からの着信があった。
アイツの携帯から、お姉ちゃんがかけてきてくれた。
「今大丈夫ですか?ワタルが9日の17時59分息をひきとりました」
「またこの後の事はコージさんから連絡してもらいます。」
と言われ電話を切った。
肉親からの連絡にも、自分はまだ半分信じられなかった。
アイツが倒れたのは俺と夜電話した後だった。
たしか3月14日前後で、ある人とケンカした事を話した。
「へこみますねぇ〜」
そんな事を言われた気がする。
アイツはその夜、丁度夕飯を買い出しにきた。
コンビニでかけてきた。ちょっと寒い日だった。社外で話していたので寒かった・・・・。
「お互いまだ仕事か〜。じゃあ続きはまたあとで!」
話を途中で電話を切り、夜中に電話もメールもしたが返事がなかったので、
「まさか」とは思っていた。
入院したのを知ったのは翌日だっただろうか。
お姉ちゃんの留守電とコージさんが電話で知らせてくれた。
最後にメールが来たのは・・・。
社員旅行でグアムから帰った3月11日。
「おっかえんなさい!めっちゃ淋しかった」
って。
最後に会ったのは3月2日の時の飲み会だ。
ワタル主催で朝まで新宿にいた。
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あれ以来会えなくなってしまった。
そして、久しぶりに会えたのがこういう形だ。
連絡を受けて、夜中K兄(サッカーチームのキャプテン)にどうするか聞き、キングに連絡した。(キングはうちの会社の人間でワタルと自分と一緒によく遊んでいた。)
キングも明日一緒に滋賀に行く事になった。
女の子達にはとても言えない・・・。
なんだかアイツが会社に来た事など色々思い出して仕事が手につかない。
色々と連絡をしながら、仕事をし、夜中4時にタクシーに乗って帰宅。
準備をして少し寝て、15時30分東京発の「のぞみ」にキングと乗った。
車内でチームメートのG、S、K兄、M美さんと合流した。
その後、ワタルの元カノのMg、友達のMdと合流。
京都で乗り換え、草津というところまで20分。
草津第一ホテルというホテルにチェックイン。
いよいよ式に出る。タクシーで会場へ。
名前の入った案内板を見た。
入るのにとまどった。入口を入るとシーンとしていた。
会場は2階らしい。
2階に上がるとすでに坊さんの話がはじまっていた。
実はもう式は終盤だった・・・。
お焼香のために参列するが、Mgが泣いて立てない。
MdとM美さんが慰める。俺は横で待っていた。
会場入り口でご両親とお姉ちゃんにあいさつした。
ワタルの家族を見るのははじめてだった。
色々と聞くのは悪いと思い、あいさつもそこそこに参列の最後尾についた。
参列すると、会社や倉貫くん、ジオンの花が置いてあった。
個人名で俺も花をだしたかった。。
考えつかなかった自分を後悔した。
いよいよ、ワタルの棺桶の前に到着。
ぽかーんと口をあけ、
両目半開きのまま寝てる。蝋人形みたいだ。
写真のワタルは静岡学園のユニホームを着てる。
若い写真だ・・・。
なんだか冷静だった、当然こんな姿見たことがない。
唇は荒れていた。以外とゲッソリしていない・・・。
Mgがボタボタとワタルの顔の上で涙を2粒落として。
それは、かかっているビニールシートのシミになった。
通夜が終わり、お姉ちゃんとご両親とジオンメンバーで24時ごろまでいた。
その間、寿司を食べたり、話をしていた。
ワタルが最後に連絡とりたかったのは俺だという事をお姉ちゃんから聞き、友人代表のスピーチを任された。
あいつが意識を戻した時
「誰に連絡する?」
「 I くん…」
「他には?」
「もうええ…」
そんなやりとりがあったらしい。
本当にうれしかった。俺なんだろうけど、俺でいいのか…。
アイツの会社のS社長も来ていた。国立で野洲高の観戦以来だ。
途中Aーノ、コージさんが到着。
ホテルに戻り2時までMg達の部屋にいた。スピーチの手紙はMgが用意した紙に書くことにした。
はじめに「用紙がある!」とMgが取り出したのは御霊前の紙だった(笑)
神が降りた瞬間だった。
2時になりSの部屋へ。
タメB型4人で「愛」について語り(苦笑)
4時、自分の部屋についた。
さて、何を書くか…スピーチを考えだし、
悩んで何度も書き直して何とかできあがった。
朝7時だった。
「寝れないじゃないか・・・・。」
一言ぼやいて、とりあえず初日は終わった。
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■4/11
横になって、すぐ起き、シャワーを浴び、準備をした。
アイツとMgのディズニーランドの土産の派手なプーさんパンツもはいた。
今日しかはく事はないだろう。
告別式にこれをはいて、徹夜で仕上げた「あの」スピーチをする。
ふざけた野郎だと自分を思ったが、すごく自分に合っていると思った。
9時。ロビーで集合。
集まった時、自分が一番遅かった。
タクシーに乗り、昨日の会場についた。
みんなが手紙を書き始め、俺はMgに灰皿で隠された。
おにぎりを1つ食べた。
Lさん、Hさん、Yイチくん達が合流。
告別式がはじまる。
友人側の席、一番右前に座り、お経が一通り終わるのを待つと
いきなり、友人代表の挨拶だった。
「ここで、ご友人代表の〜」アナウンスが流れた。
会場、来客席と祭壇の間に「センターマイク」がある。
マイクの前に立つと、さながら「PK」の気分だった。
「ワタルと自分は彼が東京に来て、サッカーチームに入って以来の付き合いです。
自分はここに友人代表として立っていますが、
ワタルの東京での兄弟だと思っています。
振り返ると、本当に楽しい思い出しかありません。
ある日、台風が去った直後に二人で秋葉原に行き、
ノリで、メイドカフェを3軒もはしごした事。
仕事中しょっちゅう電話をしていた事。
ワタルが、「スシが食べたい」というのでいつもご馳走してあげてた事。
昨日は、お通夜でワタルのおかげでお寿司が食べれました。
でもな、俺とMgが好きなイクラがなかったぞ。
最近の二人の口癖が「ストイック」だった事。
楽しい事ばかりでした。
本当に楽しかったな。
ワタルと僕は常に、強く前向きでした。
今思えば、もし、人生の中で「辛い事、苦しい事」と「うれしい事、楽しい事」の比率が同じであるなら
きっと「辛く苦しい事」よりも、より大きな「楽しみや喜び」で包み込めば、最後には「幸せ」が残っている。
そう思ってきたのかもしれません。
ワタルは、尊敬できる恩師、先輩と仕事をし、頼れる仲間達とサッカーをし、愛する人と穏やかに過ごし、最も愛する家族に見守られ本当に幸せです。
ワタルは強く、優しい男です。
ワタルは我々が悲しむ事を望んではいません。
俺たちはお互い泣き顔を見せた事がありませんが、
いつか喜ばせて泣かせてやりたいと話していました。
「いつか絶対泣かしたんねん」
今でもそう聞こえてきます。
だから、昨日今日流した涙は別れが悲しくて泣いているのではなく、出会えた事が心からうれしくて泣いている涙です。
ご親族の皆様、今は辛いかと想いますが、ワタルはストイックに働き、遊び、サッカーをし、恋愛をしてきました。
常に全力であったため、彼の人生において、後悔の念は微塵も無いはずです。
少なくとも自分にはそう思わせてくれるのです。
ワタルは次のステージへ行きました。
我々も見習ってがんばりましょう。
最後に、ワタルが俺のモノマネで好きだったネタの中からクリスペプラーのモノマネで締めたいと思います。
「以上、クリスペプラーでした!アーイ!」
とこんな感じいつもモノマネをして笑ってもらいました。
長くなりましたが、ありがとうございました。
ワタルのご冥福を心よりお祈りしています。
ワタル、本当に楽しかった。
これからは見守っててくれよ。
本当にありがとう。
友人代表 I」
只でさえ緊張しいの自分は声が大きく震えていたのがよくわかる。
人前でしゃべるのが苦手な自分は、
緊張が隠せない中、何とか言いたい事は言い終えた。
スピーチはアイツとの思い出と、人柄簡潔にまとめるように努めた。
なんとかアイツの期待に応えられるように仕込んだ
「クリスペプラーのモノマネ」は不思議とスムーズに出た。
笑い声が聞こえた。
あんな雰囲気の中でふざけた事をした事を、本心から不謹慎だとは思っていない。
自分がアイツにできる事はこれ位だから、できる唯一の事を精一杯やるだけだった。
アイツは間違いなく喜んでいる。こんな場所でも「やる」自分を期待してくれただろう。
俺とアイツの間に「お約束」は欠かせない。
親族の挨拶があった。
親族の辛さは計り知れない・・・。
式が終り、エレベーターで下へ。
棺を担ぐ事を依頼された。
ズッシリと重い棺を担ぎ、霊柩車へ…。
隣にはMg、倉貫くんがいる。
車へ運び、倉貫くんに声をかけようとしたが、
S社長に止められ、バスへ連れていかれた。
「Jリーグで長くやってる君をワタルは誇りに思っていた」
と伝えるつもりだった。
(彼は練習があるため火葬場にはいけなかったらしい。)
車中、「ここが正念場だ。本当に覚悟を決めろ」と
自分に言い聞かし、到着を待った。
Mgとも言葉を交わさなかった。
嫌な雰囲気のする火葬場に着いた。
バスを降り、建物に入るとそこでワタルと本当に最後のお別れだ。
到着すると、そこはガランとしたグレーのトンネルのような
ただの空間だった。右に変な扉が3つあったような気がした。
ワタルが車台に横たわりまっている。
「わっちゃん!」
ガタイのいい、やさしそうな男が駆け寄った。
サトシくんだ。地元での大の仲良しらしい。
俺も後に続く・・・・。アイツの顔に触る事ができた。
保冷のせいでひどく冷たい。
小さく「ありがとう」と言えた気がする。
いよいよ、別れの時。
鋼でできた暖炉のような中に2時間いれられるらしい。
扉があく、ガラガラと棺が中に押し入れられていく。
その光景を自分はボンヤリとしか見ていられなかった。
奥まで棺が押し込まれると上から扉が降りる。
一瞬、「この扉が閉まった瞬間、この世界との別れなのだ」と悟った。
「ヴーン ガタン」「ゴォーー」
嫌な音だった。閉まった音を聞いた瞬間、みんな声をあげた
おばあちゃんがワタルの名前を叫んだ。
心で「俺は名前を叫んじゃダメだ」と思った。
耐え切れなかった。
どんなに泣いても、覚悟しても
みんなにとって、こんなに身近な仲間で、友達で、家族だったアイツが壁一枚向こうの「燃やす閉居」に閉じ込められた。
その場にいた全員の叫びが響いて自分が声をだしているのがわからなかった。
こんなこみ上げる感情に耐えきれず、右手でMgを強く抱えたまま、左手はタオルで顔全体を覆っていた。
全身に力が入り、しばらく悲しみは爆発した後、続いた。
何も考えられなかった。
ただただ絶望と悔しさに潰されてその場にいるしかなかった。
しばらくたって、少し落ち着いた頃、事務的に誰かが言った。
バスに乗って一度催事場に戻るようにと。
とぼとぼとバスに順に乗り込む、席につくとMgが「歩こう」と言った。
俺は土地勘がないので無謀だと思った。
その瞬間誰かが「歩いて帰るそうです」と言った。
誰か歩いてくようだ・・・。
すかさずMgが腕をつかみ立ち上がった。
「歩こう!」
二人でバスを降りた。
歩き出してすぐ、黒服の男達がタクシーに乗って通り抜けたのが見えた。
「何してん!?」
タクシーの中のコージさんと目があった瞬間思った。
彼らは降りて後ろから追ってきてくれた。一緒に歩いてしばらく歩いた。
メンバーが駅で待っていると聞き、Mgと二人で駅に向かった。
骨は拾えないのか…残念な気持ちになりながら駅の方角を目指して歩いた。
空は晴れてすがすがしい「お散歩日和」だった。
たんぽぽの花は大きく咲き、途中偶然土手を登ると一瞬にして桜が大きく見えた。
そこは川沿いの桜並木だった。
滋賀は東京より遅く、桜が満開だった。
「この広い世界で巡り逢う喜びを言葉じゃいい表せないね
だから僕達は微笑み 色鮮やかに過ぎる秋をドレミで唄って
冬を背に春の木漏れ日を待ち 新しく生まれ変わる 誰かを守れるようにと」
後日、ワタルが最後に好きだったこの歌を思い出し、ふいに開いた歌詞カードを見て、
涙がでた。
ワタルとあの子が出遭ったのが秋だった…。
アイツが最後に残したメッセージなんだと思い、みんなに伝えなきゃと思った。
きっと、ワタルは千の夜を越えてみんなに逢いにくる。
以上。
クリスペプラーでした!ア〜イ!
おしまい。
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2007年04月19日
【02】Wataru Forever.<791010→070409>

あれから1週間が経った。
つい昨日の事のようにも感じるし、だいぶ前の事のようにも感じる。
「生前の彼と会えたはずなのに何故もっと努力をしなかったのか」
「あの時、もっとあぁすればよかった、こぅすればよかった。」
前回の私の想いを読んでいただき、心を奮わしてくれた彼に関わった数々の方の後悔の言葉、そして激励の言葉を沢山頂きました。
本当にありがとうございます。
彼は多くの人に愛されていたと改めて感じた。
彼を想う人がいるだけ、彼の死を乗り越えなければならない人がいる、受け止めなければならない人がいる。
ゆっくりでいい。
徐々にでいい。
消化するのは。
受け入れるのは。
そして。
どうしても謝らなければならない事がある。
前回、ご両親とご家族はあたかも納得をされているような意味合いを含み、私はこう記した。
『「病気の痛みから解放されて良かった」
「たくさんの人たちに愛されて幸せだった」
と納得することも1つの方法ではあるだろう。
長きにわたり共に病気に苦しんでこられたご両親は実際にそう言っておられたし、通夜、葬儀ともにそのようなクロージングの雰囲気で盛大に行われた。
しかしながらご両親、ご家族はあいつが命を焦がしてまで懸命に生きたこの3年間を知らない。
彼の作品を持ち帰り一生懸命説明したが、もうご両親にとっての彼のヒストリービデオは完成された後であった。』
今ではそうでなかったと強く感じる。
私には到底及ばない気持ちを抑え、わざとこう振る舞っておられたのだと。
悲しみと悔しさを痛い程共有していたのだと。
至らず
本当に申し訳ありません。
今では色々な事を感じ、想い、一瞬一秒の大事さを少なからず意識している。
しかし、なぜだかわからないが。
あの時やるせない程感じていた悔しさ、無念さは、悟りにも似たゆるやかに寄せては返す波のような優しさに変化した。
不思議なくらいココロは穏やかである。
今は笑って言ってやりたい。
「誰がお前に自らの命を以て、一瞬一秒の大切さを教えろ言うた。キャラじゃないことすんなアホ。」
まだまだ続く。
2007年04月14日
Wataru Inoue Forever. ~19791010→20070409~

2007年4月9日月曜日。
一人の男がそのあまりにも短すぎる生涯を閉じた。
享年27歳。
病気に悩み、苦しみ、くじけそうになりながらも前を向き、その運命を受け入れ、懸命に生きた。
中途半端な半人前が、様々な経験をし、たくさんの人に出会い、大人になった。
そして自分の運命と最後まで闘い、力尽き、この世を去った。
告別式を終えた今も、私は彼の死を受け入れられないでいる。
いつまでも悲しみに暮れるというよりは、無念のあまりその短すぎる死の意味を理解できていない。
理解したくない、認めたくないと言った方が近い。
「病気の痛みから解放されて良かった」
「たくさんの人たちに愛されて幸せだった」
と納得することも1つの方法ではあるだろう。
長きにわたり共に病気に苦しんでこられたご両親は実際にそう言っておられたし、通夜、葬儀ともにそのようなクロージングの雰囲気で盛大に行われた。
しかしながらご両親、ご家族はあいつが命を焦がしてまで懸命に生きたこの3年間を知らない。
彼の作品を持ち帰り一生懸命説明したが、もうご両親にとっての彼のヒストリービデオは完成された後であった。
彼の本意はもっと別の所にある。
彼はその人生を全うすることができず、志半ばにして逝ってしまった。
私はこの3年間一番誰よりも長く彼と一緒に過ごした。
だから彼の生き様を伝え、書き綴る義務がある。
彼を知っている方、知らない方いずれにしても、その存在を心の片隅に刻んでいただければ何よりも彼に対しての手向けになるだろう。
無念だったに違いない。
アイツはもっと生きたかった。
最後の3年間に彼の生き様が詰まっている。
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彼は私のフットボールの後輩であり、仕事の部下であった。
何よりもこの私にとって。
かけがえのない特別な男だった。
本当に本当にかけがえのない人間だった。
先輩からはかわいがられ後輩からも慕われ誰からも好かれる奴で、思いやりがあり、時に先輩の悪いマネをして後輩には横柄な時もあったが本当に優しい男だった。
彼が眠る滋賀へ戻る新幹線の中、私は人目はばからず泣いた。
声を上げ泣きじゃくった。
いろいろな事を思い出し、溢れる感情をどうしても押さえることが出来なかった。
出会ってから13年、いや14年が経つ。
たった1年強しかいなかったのだが、彼は青と緑の誇りを持っていた。
北野少年団の1つ上の先輩の坂本紘司(湘南)の後を追い、中学2年でセゾンに来た。
中学3年で滋賀県大会優勝、そして稲本(ガラタサライ)がいたガンバ大阪に勝ち関西大会優勝。
(あとにも先にもセゾンが関西で優勝したのはこの時だけである。野洲高校全国優勝メンバーも成し遂げていない。)
高円宮杯出場を果たすも、全国の舞台で三菱養和に0-11の屈辱的大敗。
その後彼は倉貫(京都)・坂本の後を追い静岡学園へ進学、凄い彼らと高校生活を共に過ごした。
しかしながら3年間彼がA戦のレギュラーになることはなかった。
彼のサッカープレーヤーとしてのピークは15歳の時だったのかもしれない。
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病魔に蝕まれたのは高校三年の時、その時は「痔」と診断されその後苦しむような難病とは診断されなかったと聞く。
高卒後は就職したものの、そこで同じく病気で倒れ、会社から解雇される。
実家の滋賀へ戻り、診断を受けると難病と診断され即入院。
それから彼の長きにわたる闘病生活が始まった。
その後入退院を繰り返し、長く働けなかった、かつてのように思い切りボールを蹴る事もできなかった、好きなものを思い切り食べられなかった。
それはさぞ苦しかっただろう。
数多くの挫折と虚しさを味わってきた彼は、毎日そうだった訳ではないが、一番楽しいアクティブになる20代前半を、自立できない自分への苛立ちと弱さに怯え、悶々と過ごしていた。
「動く仕事じゃないから、Mac覚えてデザインの仕事、俺と一緒にするか。」
私が社長に頼み込み拾ってもらったのは2003年秋。
正社員採用になったのは2004年1月。
会社の東京事務所立ち上げの為に一人で東京で頑張って、やっと1年が経った時だった。
「お前は今まで勉強もしてきてないし、病気のこともあって自分にコンプレックスがあるかもしれん。」
「でも俺はここまでしかできひん人間やて絶対思うな。今までやってきてない分これから誰よりも濃密な時間過ごせ。その為の手助けを俺はしたるから」
「絶対お前は変われるから変われよ。一緒にがんばろうや。」
うなずいた彼だったがすぐには、勉強する、仕事するということに対して貪欲さが全く足りなかったり、今までの習慣や言葉遣い、姿勢はすぐに変わるものでもなかった。
「先輩・後輩」から「上司・部下」へ二人の関係は変化したのだが、彼はそれを理解できていなかった。
私は名前から名字で呼ぶようになったが彼は仕事の時も「センパイ」のまま。
私は歯がゆかった。
仕事に対しても何回も同じミスを繰り返し、やる気を疑う時もあった。
指摘する数々の言葉は彼に相当プレッシャーだったはずだ。
1年に1度は1ヶ月あまり入院するために、それまで継続されていた取引先からの仕事が切れた事も、減らされた事も多々あった。
一度だけならまだしも二度、三度、四度。
業績が上がったと思えば下がり、それの繰り返しだった。それゆえ近すぎる彼に対して苛立ちもあったのも事実である。
その度に私に「迷惑かけてすいません。」と暗い表情の彼を思い出すとあまりに切ない。
公私混同さすまいと、わざと距離を置いていた。
変わって欲しかった。一人前になって欲しかった。
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忘れてはいけないのは彼を一人前に育ててくれたのは取引先だったと言う事である。
取引先の制作部に出向して作業していた毎日の中、最初の時は何もできなかった彼も沢山の方々のお陰で徐々にだが仕事をできるようになった。
彼なりに精一杯やっていた。
彼を知る方ならたまに滋賀に帰った彼を見て感じたはずだろうが、その顔つきは想像できないくらいに精悍になっていたはずだ。
徐々に自信もつき、夢を持ち、燃えていた。
出来る事も増えて、仕事に打ち込むことに生き甲斐を感じていた。
そしてその取引先の会社が彼は好きだった。
(※取引先のJPSのみなさんを始めジオンのみんな、沢山の方々がわざわざ東京より駆けつけてくれました、弔電も多数いただきまして本当に、本当にありがとうございます。)
二人三脚で頑張った甲斐もあり、一緒に頑張ってくれる従業員も2人増えて最近は順調であった。
今年1月に1ヶ月入院したのだが、無事退院し、最近は元気に仕事に打ち込んでいた。
今回の緊急入院も去年の5月に入院しているため
「またやりよったわ。しゃあないのぅホンマ」
またすぐ帰ってくるものと思っていた。
彼にしてみれば帰りたかったが帰れなかった・・・・。
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通夜の夜、私と社長は朝まで彼のそばにいた。
彼のそばに最後までいたかった。
「センパイ、ホンマくやしいわ。くやしいわ。」
「最後まで迷惑かけたままでホンマすいません。」
そう彼は言っていた。
彼に何度助けられただろう。
再度色々な事を思い出し、もう泣くまいと決めたはずの涙はとめどなく溢れ出た。
「お前死んでる場合ちゃうやろが。やることまだまだたくさんあったやろが。」
(潮入さん、アイツを雇っていただいてありがとうございます。いつもアイツは感謝してました。)
最後になってしまったが、近い存在すぎて一緒にいる事が当たり前だった彼に一生言うつもりもなく、もちろん言えなかった言葉を。
「苦しかったやろ。
よう頑張ったな。
これを綴っている今も。
俺はやっぱり悔しくてたまらん。
無念でたまらん。
でもやっぱりお前が一番悔しかったんやもんな。
お前がいなかったら俺はここまでがんばれてなかったかもしれん。
ありがとう。
愛してるぞワタル。」
2007年4月14日 コージMC
2006年10月20日
今さら言えない自分にとってのアイツの存在。坂本紘司27歳。湘南ベルマーレ所属。


「たまにはオレの試合も観に来てくださいよ」
言葉の主は当ブログ応援選手、湘南ベルマーレの坂本紘司。
今週水曜日のJ2第45節ヴェルディ対ベルマーレ。両軍の観戦というより彼のプレーをチェックするため私は味の素スタジアムにいた。
ここで少し彼について語ろう。
坂本紘司。27歳。芸能人顔負けの甘いマスクを持ち昔から女性に圧倒的な人気を誇る。(近頃は年齢が上がり男のサポーターにも渋くモテるそうだが)
「得点感覚、つまり点を取る為のセンスが抜群」
ペナルティエリアの中での決定力は高い。
滋賀・北野少年団から野洲北中学へ。中学2年の時、岩谷氏が監督を務めた滋賀トレセンでセゾンFC・倉貫一毅らとプレーしその得点センスが開花。中学3年でセゾンへ移籍。倉貫とのコンビで屈強なDF陣を翻弄、何発もゴールを量産してきた。(時代は違えど記憶に新しい野洲高の青木孝太と平原研のコンビネーションのような)
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そのセゾンFC時代からの盟友、ヴァンフォーレの倉貫一毅と共に進学した静岡学園では高校サッカー選手権で神懸かり的な活躍でチームを国立競技場に導いた。(中村俊輔の桐光学園に敗れて3位。あれから10年経つ。言わずと知れた「セゾン→静学」ラインの源流)
その後鳴り物入りでジュビロ磐田に入団。
しかし3年で戦力外通告を受けJ2湘南へ、今季ですでに7シーズン目を迎える。ポジションはFWからMFに変わったが今や湘南の象徴とも言える存在に。(本人曰く長いだけですから)
しかしながらここ数年はチーム成績に比例するように今イチいい成績が残せていない。(去年は1ゴール、今年は0)
追い打ちをかけるように第34〜41節まで屈辱のベンチ外。41節に札幌に1-6で大敗を喫した翌42節からは再度出場しはじめたものの・・・。
「オレはサッカーにこだわりません。引き際は潔くしたいすわ」
以前彼が言っていた言葉を思い出し、私はイヤな予感がした。
私「おまえまさか・・・・やめるとか言うなよ」
坂「いやいやいや。まだまだやれる自信もありますしね」
いつもはマイペースで受け身なイメージの彼の積極的な発言。キャラの違和感を感じた私は声のトーンから彼のネガティブな心理状態を察した。
私「最近点取れてへんなぁ、悩んでんねんろ」
坂「実はそうなんすよ・・・・」
私「シュート打てる所にいってへんやろ」
坂「はい・・・・」
私「お前の持ち味はボールを出す事、使う側ちゃうで」
坂「・・・・・・」
私「お前の持ち味は使われる側やで。危険なエリアでボールを受ける事やで」
坂「そうっすよね。ただ前のFWが二人ともスピードで突っ込むタイプやし中盤でタメつくらなしゃあないんすよ」
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ペナルティエリアに入らなければ発揮できない持ち味がペナルティエリアに入らないのでは話にならない。10年もプロを続けてサッカーを知っているだけに頭では分かっているが、今のチーム状況では出来ない諦めにも似たジレンマが感じられた。
中盤でパスして一度消えてゴール前に現れるのが彼の良いリズム。現状は中盤でパスして消えたらミスをしていつのまにか相手ボールへ。
信じて走るからパスが出る。パスが出るから信じて走る。パスが出ないから走らない。走らないからパスが出ない。
悪循環という名のパラドックスに陥っている。
結局ゲームは、吹き付ける冷たい夜風が身に応えるかのように、閑散とする味スタの雰囲気と同じように1-3で湘南は東京Vに敗れた。前半早々にCKを直接入れられる不運もあり最後まで相手に主導権を握られたままだった。
【4-4-2・2ボランチ】
左ワイドで奮闘した坂本も左足でのタッチには味はあるが、悪いリズム、収まらないボールにこれといった見せ場を作れず後半24分に退いた。彼が途中交代すると同時に、目的がなくなった私は席を立ちゲートへ歩き出した。
今のベルマーレでは彼の良さが全く出せていない。
しかしながら
彼はいいボールを出せる選手さえいれば必ず点を取れる。いいコンビネーションさえあればまだまだ輝ける。
それは贔屓目でなく客観的に見てそう言える。(見逃しているだけで出ていれば決定的チャンスになった回数は5回以上あった)

「オレの中ではやっぱりカズキが一番ですわ」
頻繁に遊んだり、連絡を取り合う訳でもない。でもアイツの状況は気になる。常に刺激を受けている。何よりアイツの事をよくわかっているつもり。本人を前にしては言ったことはないがアイツがいなければ今のオレはいないだろう。やめていく選手が多い中、お互い10年間プロ選手を続けれてるという事に誇りを持っている。アイツが頑張ってるからここまで頑張って来れた。
彼の言葉からはこれらの想いが一瞬にして汲み取れた。
そしてカズキにしても全く同じ気持ちを持っているのも事実なのである。
「なんかええのぅ。お前ら。いい意味でお互い頑固で。」
この愛すべき奴らが10年の時を経て、また同じチームでまた同じピッチであの頃と同じく相手を翻弄するシーンが観れる事を願おうか。
私には青と緑の血が流れている。
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2006年08月30日
素朴な永遠のサッカー小僧、前田雅文23歳。ガンバ大阪所属、通称マエちゃん。


「とりあえずガンバで完全にレギュラーを獲ることが目標です。」
先日行われたA3チャンピオンズカップの東京遠征中に話を聞くと力強く語っていた。
昨年記念すべきJリーグ通算10,000ゴールを決め一躍名前を轟かすも、直後靱帯を損傷し約10ヶ月のリハビリ生活を余儀なくされてプロサッカー選手の光も影も経験したルーキーイヤー。
そして復活した2年目。チャンピオンチームで現在、左サイドハーフでスターティングメンバーに名を連ねている。
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前田雅文、23歳。ガンバ大阪所属。通称マエちゃん。
攻撃的なポジションならどこでもこなせる。
ユーティリティ性と勝負強さで西野監督の信頼も厚い。
マグノアウベスらと共に試合に出ている事が凄い。
しかしながら
彼には申し訳ないのだが、全くJリーガーのオーラはない。
そして彼はファッションにも、クルマにも興味なし、コンパ・飲み会にもあまり興味なし。
興味があるのはサッカーだけ。
「ホンマに?」
と思うかも知れないが本当なのである。
「素朴な永遠のサッカー小僧」
マエちゃんにはこのコピーがぴったりハマる。
私はそれでいいと思う。
若い時には好奇心が旺盛でたくさん誘惑がある中、サッカーだけに100%集中し精神的に打ち込める選手は少ないのではないか。
彼みたいなタイプが一気に上までのぼり詰める可能性が高いのかも知れない。
この「素朴な永遠のサッカー小僧」がオシムジャパンに名を連ねる可能性は十分にある。
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セゾンFC・関西大の後輩で、現在京都サンガの強化指定選手である安藤淳がこう言っていた。(彼についてもまた記す)
「マエちゃんとね、地元でたまにビリヤード行くんすけどね・・・・・。」
「いつもワリカンなんすよ・・・。」
(失笑) そ、それくらいは出したれや・・・・・。
まぁ彼らしいと言えば彼らしいが(笑)
彼ならではの仰天エピソードはまだまだあるがまた綴ることにしよう。
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2005年03月03日
愛すべきマイメン その1。「ダイスケ a.k.a CRAZY-D」
先日関西のアンダーグラウンドで活動しているHIPHOPクルー、
PANTRHYMEZ<パントライムズ>
がマインドブリーズレコードと契約し、
今週日曜日3/6にZepp Osakaで初の格闘技とHIPHOPのコラボレーションイベント
REAL RHYTHM「リアルリズム」
に出演します。
今回はそのパントライムズMC、CRAZY-Dを紹介させてもらいます。
続きを読む
PANTRHYMEZ<パントライムズ>
がマインドブリーズレコードと契約し、
今週日曜日3/6にZepp Osakaで初の格闘技とHIPHOPのコラボレーションイベント
REAL RHYTHM「リアルリズム」
に出演します。
今回はそのパントライムズMC、CRAZY-Dを紹介させてもらいます。
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